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コラム)パンフォーカスな人の優雅な世界

コラム)パンフォーカスな人の優雅な世界

前回、パンフォーカスな人の優しさについて書きました。多くのものが同時に目に入るからこそ、言われる前に気づき、何かが起きる前に手を入れてしまう。今回はその同じ性質を、喜びや満足という側から眺めてみたいと思います。

たくさんのものが同時に見えることは、ノイズに振り回されやすく、疲れやすいということでもあります。ただ、その一方で、同じ一日のなかから細かなものをたくさん受け取れる、ということでもあるように思います。朝の光が昨日とは少し違うこと、淹れたコーヒーの香りが今日は濃いこと、道端の木がいつの間にか色を変えていること。多くの人ならそのまま通り過ぎるような変化に、ふと気づく。忙しいときには煩わしく感じられるその感覚も、余裕のあるときには、暮らしを少し豊かにしてくれます。

露天風呂なら、肌を包む湯の熱さと首筋に触れる外気の冷たさ、湯面のかすかな揺れ、風に動く葉の音、木や硫黄の匂いまでが、ばらばらではなく一つの時間のなかで重なって入ってきます。特別なことをしなくても、ただそこにいるだけで、意外なほど多くのものを味わえるのです。レストランでも似たことが起こります。料理の見た目や香り、味、歯応え、喉越し、あとに残る余韻、お酒との相性。それに部屋の明るさや温度、器の手触り、同席した人との空気までが重なって、一回の食事になります。

服を選ぶときも、色や形だけでなく、着心地、その日の予定、会う相手、天気、自分がどう見えたいかまで、いくつものことを同時に考えています。家を整えるときも、ゴミを取ったりシーツを伸ばしたりするだけではなく、湿度や空気の流れ、かすかな匂い、ものの置き場所まで気になってくる。そうやって細部を少しずつ整えていくうちに、部屋全体の空気まで静かで落ち着いたものになっていきます。高級と呼ばれる店やホテルや車にも、私は似たものを感じます。目立つところだけが立派なのではなく、照明、香り、言葉遣い、触れた感触、使ったあとのことまで、細かなところに同じ考え方が通っている。高価だからというより、隅々まで一つの世界として整っていることに、私たちは心地よさを感じるのかもしれません。

こういう感覚は、特別な場所に行かなくても少し試せます。たとえば、いつもの部屋を一度きれいに片づけてみる。ものを少し減らし、床や机の隅まで掃除して、クッションやシーツを整え、窓を開けて空気を入れ替えてみる。すると、今まで気づかなかった光や音や匂いが、少しだけ入ってくるようになります。パンフォーカスな人がいつもこんなふうに世界を見ている、とまでは言えません。ただ、余計なものを少し減らして細部に目を向けてみると、暮らしのなかには思っていたより多くのものがあったのだと気づきます。優雅さというのは、たくさんのものを持つことではなく、すでにそこにあるものを、少し丁寧に受け取ることなのかもしれません。