コラム)パンフォーカスな才能
私たちは普段、見たいものにピントを合わせて暮らしています。関心のあるものだけがくっきり見えて、あとは自然とぼやけていくものです。潜在抑制(latent inhibition)と呼ばれる働きのおかげで、「関係ない」と判断したものは意識に上らず、情報の洪水のなかでも必要なものだけを拾っていけます。話していて「要するにここが大事」とすぐ要点を掴める人は、この絞り込みが上手なのだと思います。
ところが、この絞り込みをしない人もいます。その方の視界は、写真でいうパンフォーカス(pan-focus)のように、中心から辺縁までぜんぶにピントが合っている見え方に近いのです。だから、視野の隅の景色が霞んでくれないぶん、部屋の隅の埃が気になったり、相手の表情のわずかな変化にすぐ気づいてしまったりします。
「気にしすぎ」と言われがちですが、私はそこに才能を見ます。宮崎駿の作品を思い浮かべると、草の一本や立ちのぼる湯気にまで手抜きがなくて、世界を隅々まで見てしまう人だからこそ、あそこまで生きた細部が描けるのだろうと感じます。
同じことは、天才と呼ばれる外科医にも言えるでしょう。術野のかすかな色の変化、組織の張り、いつもと違う出血のにじみといった、他の外科医なら見過ごす小さな兆しを取りこぼさない眼が、そのまま患者の予後を左右します。細部を捨てられないことが、文字どおり人を救う力になっているのです。
もちろん本人はしんどいはずで、すべてが等しく飛び込んでくる暮らしは、それだけで消耗します。けれどそれは欠点ではなく、解像度の高さと引き換えに払っている代償なのだと思います。
隣にいる人は、自分とはずいぶん違う深さでピントを合わせているのかもしれません。そう思って眺めてみると、扱いにくさの奥に、まだ誰も気づいていない才能が隠れていることは、案外あるものです。
