コラム:「五月病」のすすめ
桜が散り始め、新緑の季節になりつつあります。この時期には「五月病」という言葉を耳にすることが増えてまいりますが、そのルーツを辿ると、現代にも通じる深い心の機微が見えてきます。
五月病が広く知られ始めたのは、1960年代後半のことです。背景にあったのは、現代よりもさらに過酷だった受験環境でした。成績や合否という「外発的なモチベーション」を支えに激しい競争を勝ち抜いてきた若者たちが、いざ念願の大学生活が始まると、自分自身の内なる意欲、つまり「内発的なモチベーション」が希薄であることに気づき、深い戸惑いを感じるようになったのです。これは単なる燃え尽き症候群ではなく、虚脱感を抱えながらも「自分の人生はこのままでいいのだろうか」と自らの理想を真摯に問い直す、知的な葛藤が共存する状態であったと言えます。
筆者が精神科医になった2001年頃には、まだこうした葛藤を抱える方がいらっしゃいましたが、近年ではそのような姿を拝見することが少なくなったように感じます。今は理想と現実の乖離に一人で悩むよりも、退職代行サービスを使ってでも早めに現実的な判断を下して環境を変える方が増えており、それは非常に効率的な選択かもしれません。しかし、正解のない問いを幾度も反芻し、自分自身との対話を重ねる時間は、人間にとって非常に文化的な、尊い時間でもあると感じます。
日々の生活が順調に進んでいる時であっても、時には立ち止まり、かつての五月病が持っていたような内省的な側面を取り入れることは、一つの有意義な試みと言えるかもしれません。外からの評価ではなく、自分の内側から湧き上がる意欲を丁寧に見つめることは、新たな人生の歩みを始める大切なきっかけになります。迷いと向き合い、内省を繰り返した先に見つかる自己のあり方には、何物にも代えがたい素晴らしい価値が宿っていることでしょう。
