本音かパントマイムか
20年以上前、私の指導医は当時研修医の私に対してこう言った。
「患者がつらいと言えば、つらかろうと演技するのが精神科医としての初動である。」
そして、その指導医は私にこうも言った。
「患者も自分の気持ちを伝えるために、患者は医師の前でも頑張って演技したり、嘘をついたり、誇張して表現したりすることもある。そうせざるを得ない理由は、患者の深い気持ちは簡単な言葉にはならないからだ。だから、精神科医は患者の言葉や態度を言葉通りに受け止めてはならない。」
先日、日本パントマイマー協会理事の北京一氏と話す機会があった。北はパントマイムの本質について「人間の営みに実態はなく、表現されるものは全て嘘である。」と何気なく語り、私の前でパントマイムを繰り広げた。それはレストランで食事をする人の日常的な動作を巧妙に演じたものであったが、パントマイムにありがちな過剰な想定や演出はなかった。そして、圧倒的な真実味と臨場感がその場を支配していた。彼は精神科医の私に対して、人々が日常生活においてある種のパントマイムをしている実態をリアルに伝えようとしたのである。
北の卓越した演技力に感動した私は、直後に彼にロールプレイを申し込んだ。私は彼に、ロールプレイのルールとして、私からのあらゆる声かけに対して必ず全て「それは違いますね。」と答えるよう要請した。そして、私からの声かけの内容は以下の2パターンある。
①間違っている内容:(例)「太陽は西から上る、これは正しいですよね。」
②正しい内容:(例)「1+1=2、これは正しいですよね。」
私は北に対して、全ての質問に対して同じ声のトーンや態度で応えるようには要請していなかったが、北は、軽やかに「それは違いますね。」と同じ声のトーンで答え続けた。「1+1=2ですよね」と言われても、平然と「それは違いますね。」と答えたのだ。私は一連のロールプレイを終えて、さすが演技のプロは頼まれた役を抵抗なく演じることができるものだと感嘆した。
カウンセリングにおいては、北のように抵抗感なく特定の役柄を演じることできるクライアントは稀である。多くの方は本音と言葉や態度の間に乖離がないよう努力しながら語ろうとする。最近、とある心理面接でクライアントが私にこう語った。
「先生、僕が言いたいことなんて簡単に言葉にできませんよ。」
それはそのとおりだろう。そこで私は、クライアントには言いにくいことでも、とりあえず何かの役を演技しながら、気軽に語ってもらいたいと思った。その役とは、例えば「怒っている人役」「悲しんでいる人役」「疲れている人役」「自信がない人役」「変わった人役」「常識人役」などだ。そのようなとりあえずの役を演じながら話していると、それまで気づかなかった新たな自分の役柄を見出すことができるようになるのかもしれない。