休暇に伴う疲労について
G Wは概ね今日で終わり、明日から多くの企業や学校において通常のスケジュールとなります。休暇前に会社や学校で日々のタスクに追われていた方々にとって、連休は楽しみや安らぎを追求できる貴重な機会と言えるのですが、例年この時期になると、私が診療しているクリニックでは、休み中に混雑している行楽地へ遠出したり、普段経験したことがない新しい体験をしたことで内心疲れを感じたとおっしゃる方が多いものです。そのため、行楽地の混雑を避けて自宅でゆっくりと過ごすことを選ぶ方も少なくありません。このような本来は楽しいはずの休暇の陰に潜む独特の疲労をどのように考えたら良いでしょうか。本コラムでは、敢えてこの問題を真面目に考えてみたいと思います。
まず、通常の生活における疲労について考えてみたいと思います。産業医目線で勤労者の日常の働き方を能力特性の面から評価しますと、多くの社員様は自分の得意な能力に適合した職務を選択し、主にその得意な能力を使って日々のタスクを処理していると言えます。コミュニケーション能力が高い方が営業職を選んだり、論理的な思考能力が高い方が弁護士を選ぶ状況が良い例でしょう。そして、コミュニケーション能力が高い営業職の方々の疲労は、顧客からのクレーム、同僚との意思疎通の障害、上司からの理不尽な叱責など、コミュニケーション上のトラブルによって発生しがちですし、論理的な思考能力が高い弁護士は、延々と非論理的な会話にお付き合いさせられる中で疲労を感じがちです。つまり、産業医としての経験から考えると、多くの勤労者にとって、職務上の疲労は、個々の社員様が有する特異な能力や才能に関連して、限局的に発生しがちであると言えるのです。このことは意外にも多くの方が十分に意識していないことであり、効果的な休み方を考える上でヒントとなりえます。
次に、休暇の効果とその疲労について考えてみたいと思います。休暇中、勤労者は通常の営みから離れることで、普段酷使している特定の能力を休ませることができます。例えば、営業マンは利害関係者とのコミュニケーションから解放されます。このことは休暇の分かりやすい効果と言えるでしょう。その一方、休暇中に勤労者は「楽しむ」「消費する」など、普段の職場とは違う発想に立って日常の職務とは違う行動をすることで、休暇独特の疲れがもたらされます。そのような慣れないことをすることで発生する疲れは、利き腕でない腕でお箸を使う際の疲労と似ています。言わずもがなですが、利き腕でない腕でお箸を使うとスピーディーに料理をつかむことができませんし、その行為自体に疲れを伴うものです。ここで注意したいことは、我々の能力は多様かつ多元的であり、右利きか左利きかという単純な二者択一ではないことです。利き腕ではない腕は一本ではなく多数あり、その多種多様な能力をいかに発達させるかということは、日々新しい課題に直面する多くの勤労者や学生にとって重要な問題であるとも言えます。その上で、仮に休暇中に何かミスを起こしたとしても、仮に休暇中の目標が未達に終わったとしても、本質的に業務上の責任が問われることはありません。このことは休暇の特徴であり、効果とも言えるでしょう。
以上の通り、休暇は、「利き腕」、つまり特定の得意な能力に関連した疲れを解消し、普段使っていない様々な潜在的な能力を幅広く活性化させるための貴重な機会と言えます。そう考えると、休暇特有の疲労は概ね肯定的に捉えて良いと私は思います。特に、勤勉とされる日本人にとって、休暇は大きな潜在的利益をもたらすものでしょう。たまには思いっきり遊んで思いっきり疲れてみる、このような発想はいかがでしょうか。