理想の人事部とは
私は産業医として様々な人事部の方々と接する機会があった。中には社内の複雑な人間関係を寝技で調整し企業の伝統的な秩序や組織の安定に尽力することが得意な旧来型の方々や、社内の反対を押し切りトップダウンで人事制度の改革を断行し、経営層から賞賛された新世代型の方々もいらっしゃった。いずれにせよ、多くの人事部の方々は、社員全員から必ずしも賛同されないストレスフルな職務に従事していると言えるだろう。しかし、最近のトレンドを俯瞰すると、詳細は省くが、どの会社の人事部も、私の人事部への信頼とは異なり、その伝統的英知と卓越した決断力に相応しい十分な敬意が社員から払われているとは思えない。
現代の会社では過重労働は一概に不健康であるとされ、時間内に求められた仕事を期待通りにこなせることが理想とされる。コミュニケーションのあり方も単純で明示的なものが好まれ、複雑な以心伝心を良しとした昭和の世代からすると拍子抜けである。また、人事評価においては明確な達成度に応じた合理的なアセスメントが必須とされる。具体的な成果がそのまま報酬に直結し、その反面、長期的視点に立った他者から見えにくい我慢や影の努力は評価されにくい。新入社員は先輩から「自分で考えてみて。」と言われても、内心「どうして具体的に教えてくれないのだろうか。」と不満を抱えてしまうものである。つまり、一言でまとめると現代の労働分野は「省エネの時代」とも言えよう。
そもそも、あらゆる省エネは保有する資源の最大活用を前提とする。個々の社員の省エネの背景には大きな余剰のエネルギーがあるはずである。旧来の慣習に反して二刀流に挑戦した大リーグの大谷選手の活躍を見ると、その目指す理想像の大きさや発想の大胆さに驚かされるが、それと同様に、現代的な社員の会社における省エネ志向の背景には、会社外での幸せや自己実現への強烈な希求があるのかもしれない。その仮説が正しいとするならば、労働現場から撤収されたエネルギーはどこに向かうのだろうか。そう考えると、人事部は、社員の会社内における挙動に対して、会社外の営みを推測しつつ、その幸せを最大化するよう働きかける能力が求められているのではないだろうか。その場合、時として人事部が社員のわがままをどこまで許容できるかが試されことになるわけであるが、その成否は人事部の腕力や胆力次第であろう。
そのような新しい関わり方は、現段階において、会社全体の生産性に直結するかは定かではなく、また、旧来の企業文化においてはプラスに評価されるどころか非難されかねないものである。しかし、社員の幸せと成長に会社の枠を離れておおらかに働きかける姿勢は、人事部の理想と言えるのではないだろうか。また、そのような観点を持ってこそ、はじめて社員の労働への熱意を引き出せる有効な施策を打ち出せるようになるように思えてならない。
*2022年10月22日、Stress Labo 軽井沢で弁護士と会社経営者をお招きし、会社経営に関する検討会を開催。その際の参加者からのコメントの要旨をコラムとして記載した。