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行動から話す

コラム : 行動から話す

かつて、カウンセリングの主題は本音でした。本音は心の奥にあるとされてきました。本人にも見えにくい場所に、その人の「ほんとう」があります。自由に語るうちに、それが少しずつ表に出てきます。表に見えるものは仮の姿で、真実はその下に隠れている。長いあいだ、それが前提とされてきました。

ここ数年、その主題が移ってきた気がします。本音ではなく、事実のほうへ。事実とは、その人がやったこと、口にした言葉、書き残したメールやLINE。記録に残り、記憶に残り、相手にそのまま届きます。この移動を、私は理屈より先にカウンセリングのなかで感じています。

以前は、こう伝えていました。
「あなたは本当はこう感じているのではないですか」
奥にある気持ちをこちらが汲んで返します。けれど、これがうまく届かないことが近年むしろ増えています。「いや、そんなことはない」と返ってきます。当然かもしれません。本人にも見えない心の奥について、こちらが断定しているのですから。それは私の解釈であって、本人には確かめようがありません。受け入れるか拒むか、その二択しか残りません。

そこで、言い方を変えてみました。本音を当てにいくのをやめて、行動のほうを話題にします。
「あなたが実際にしたことから、考えてみませんか」
連絡を返さなかった。その場を離れた。同じ相手にだけ繰り返し時間を割いた。——それらはこちらの推測ではありません。本人がやったことです。この進め方のほうが、話が前に進む場面がはっきり増えました。

たぶん、土俵が変わるからです。「あなたの本音はこうだ」は、見えないものをめぐる当てっこになります。当てられた側は身構えます。一方、行動から入れば、本人も知っている事実から出発できます。否定しようがありません。やったことはやったことです。意味づけは動いても、起きた出来事は動きません。だから、すれ違いにくくなります。

ここで私は、行動こそが本音だ、と言いたいわけではありません。行動の奥に本音があるのかどうか、それは脇に置いておきます。ただ、行動という確かめられるものを真ん中に置いたほうが、話が前に進みます。それだけのことです。本音をめぐる当てっこより、起きたことについての対話のほうが、結局は本人の理解にも届きやすい。そう感じています。

考えてみれば、筋は通っています。人は案外、自分の気持ちを正確には知りません。何かをした後で、「あれはこういう理由だった」とそれらしく説明をつけます。理由は後から足されることが多いのです。だとすれば、語られる「本音」も後から編集された一篇かもしれません。行動のほうは、編集が始まる前にもう起きています。だから、ごまかしが利きません。

もちろん、事実だけで全部が決まるわけではありません。「わかった」の一言は、同意にも、皮肉にも、諦めにもなります。記録は意味までは決めてくれません。そして記録が重くなるほど、人は記録を作りにいきます。証拠のために言葉を選び、見られることを意識して態度を整えます。事実は演じられた事実にもなりうるのです。

それでも、と思います。現代で事実が重いのは、それが心をのぞく澄んだ窓だからではありません。本音は、口にしないかぎり誰にも届かず、何も動かさないからです。だからいつしか、本音そのものが話題にのぼらなくなりました。語られるのは行動ばかりです。あの人が何をしたか、何を書いたか。本音は、あったとしても、もう議論の机には載りません。

事実のほうが誠実だと私は思います。確かめられますし、嘘もつきにくいからです。けれど、その分、失われるものもあるでしょう。私たちは今、メールやLINEの記録に囲まれて生きています。カウンセリングは、その記録からいったん離れられる場所でした。過去に何をしたかだけでは決めつけられない。そういう時間が、少しずつ減っていくのかもしれません。