Columnコラム

精神医学2026.04.08

コラム:「五月病」のすすめ
 桜が散り始め、新緑の季節になりつつあります。この時期には「五月病」という言葉を耳にすることが増えてまいりますが、そのルーツを辿ると、現代にも通じる深い心の機微が見えてきます。
五月病が広く知られ始めたのは、1960年代後半のことです。背景にあったのは、現代よりもさらに過酷だった受験環境でした。成績や合否という「外発的なモチベーション」を支えに激しい競争を勝ち抜いてきた若者たちが、いざ念願の大学生活が始まると、自分自身の内なる意欲、つまり「内発的なモチベーション」が希薄であることに気づき、深い戸惑いを感じるようになったのです。これは単なる燃え尽き症候群ではなく、虚脱感を抱えながらも「自分の人生はこのままでいいのだろうか」と自らの理想を真摯に問い直す、知的な葛藤が共存する状態であったと言えます。
 筆者が精神科医になった2001年頃には、まだこうした葛藤を抱える方がいらっしゃいましたが、近年ではそのような姿を拝見することが少なくなったように感じます。今は理想と現実の乖離に一人で悩むよりも、退職代行サービスを使ってでも早めに現実的な判断を下して環境を変える方が増えており、それは非常に効率的な選択かもしれません。しかし、正解のない問いを幾度も反芻し、自分自身との対話を重ねる時間は、人間にとって非常に文化的な、尊い時間でもあると感じます。
 日々の生活が順調に進んでいる時であっても、時には立ち止まり、かつての五月病が持っていたような内省的な側面を取り入れることは、一つの有意義な試みと言えるかもしれません。外からの評価ではなく、自分の内側から湧き上がる意欲を丁寧に見つめることは、新たな人生の歩みを始める大切なきっかけになります。迷いと向き合い、内省を繰り返した先に見つかる自己のあり方には、何物にも代えがたい素晴らしい価値が宿っていることでしょう。

カウンセリング2026.03.24

コラム:「怒り」を急がない、という選択

新年度が始まりました。人事異動や転職、出向など、環境の変化は私たちの心に少なからぬ負荷を与えます。精神科医・産業医として日々多くの方と接していると、この時期に生じる「摩擦」や、それに伴う「怒り」の扱いに苦慮する声が非常に多く聞かれます。

一般に、怒りのコントロールには「アンガーマネジメント」が有効だと言われています。衝動的な爆発を抑えるための「6秒ルール」や、自分の価値観を再点検する手法は、自分や周囲を傷つけないための重要な知恵です。しかし、ビジネスの現場、特に「説明不足や認識の齟齬」が深刻な問題を引き起こしている局面においては、単に怒りを抑えるだけでは本質的な解決に至らないという限界もあります。

ここで再考したいのは、私たちは「怒り」をあまりに短時間で処理しようと急ぎすぎてはいないか、という点です。

現代の職場環境では、あらゆることに迅速な対応が求められます。感情もまた、その場で処理するか、あるいは瞬時に消し去るべきものとされがちです。しかし、この「短時間で解決しなければならない」という心理的・時間的な窮屈さこそが、かえって焦燥感を煽り、本来は生産的であるはずの異議申し立てを、攻撃的な怒りへと変質させてしまう側面があるのではないでしょうか。

もし、その怒りが単なる不機嫌ではなく、「業務上のリスク」に対する真面目な反応であるならば、むしろ私たちはもっと時間的な余裕を持ってその感情を扱うべきだと考えます。

本来、日本のビジネスシーンにおいて、理由もなく気性の激しい方はそれほど多くありません。むしろ、責任感から「このままではいけない」と真面目に憤っている方が大半です。そうした価値ある怒りを、その場限りの爆発で終わらせる必要はありません。

むしろ、「丁寧すぎるほどに、長々と、そして壮大なスケールで」相手に伝えてみるという選択肢を検討してみてください。

「今、私はこの状況に強い危機感を抱いています。この些細な認識の違いが、将来的にプロジェクトの根幹を揺るがし、ひいては顧客の信頼を損なう致命的な問題になりかねない。だからこそ、今ここで時間をかけて、徹底的にこのズレを修正したいのです」

このように、怒りのエネルギーを「説明のための熱量」へと変換し、じっくりと時間をかけて背景を詳述する。そうすることで、感情の持つ破壊的な側面は抑えられ、組織の健全性を維持するための建設的な提言へと昇華されます。

怒りを「点」でぶつけるのではなく、「線」として長く、ゆったりと伸ばしていく。 せわしない新年度だからこそ、自身の感情に対してあえて「贅沢な時間」を割く姿勢を持つことが、個人の精神的安定と組織の円滑な運営の両立に寄与するものと考えています。

精神医学2022.05.18

テレワークの安全性について

 

30年以上前の車にはエアバッグはなかったが、現在のほぼ全ての車にはエアバッグが標準装備となっている。エアバッグの安心感に慣れ親しんだ現代人にとって、かつてのエアバッグ未装着車には漠然とした不安を感じるものである。当然のことながら、その不安はエアバッグ登場前の時代にはなかった新たな不安である。本来、車の安全性能は車体剛性やブレーキ性能等に左右され、エアバッグだけに依存するものではないはずであるが、この不安感は一体如何なるものだろうか。

 

コロナ禍の中、テレワークは日本の労働環境に定着し、すでにそのメリットやデメリットは議論し尽くされた感があるが、精神科医としての筆者は、通勤の負担や感染リスクよりも、テレワークがもたらす身体的安全に今注目している。現代において通勤災害や会社内でのトラブルや暴力事件は、かつてと比較すると稀になったとはいえ、人は大声で怒鳴られただけで暴力を振るわれるのではないかとの警戒心を無意識に抱き、不安や自律神経の乱れを来たしてしまうものである。日々の診療や面談ではテレワークやWeb会議は安心感があるとの声をしばしば耳にする。現代人がテレワークという新たな安全装置を解除することは簡単なことだろうか。

 

コロナ禍において一般的な社員は、物理的に安全なWeb面談か得られる情報が多い対面での面談かを選択する際、所属する会社の方針や面談対象者の意向を尊重せざるを得ないので、自由に意思決定できない。その不自由な状況は、可視化しにくいストレッサーともなりうるであろう。このことへの懸念ついて、社員様は会社内で言語化しにくいであろうこと、経営者や管理監督者側からの声や反応が乏しいことも少々気になっている。

 

コロナの感染状況は依然先行き不透明であるが、社会活動は徐々に再開されつつある。各企業においては今後のテレワークの運用について活発な議論がなされているが、社員側のテレワーク継続への要望は根強い。そのため、成長を志向する企業側にとっては、テレワークの損得を比較・検討するだけでは不十分である。そのような今こそ、安心・安全な職場づくりを目指し、コミュニケーションの向上、ハラスメント対策、社内カルチャーの改善、コンプライアンス遵守等を強化する好機が到来していると言えるのではないでかと思う。