- カウンセリング2026.06.26
コラム : 行動から話す
かつて、カウンセリングの主題は本音でした。本音は心の奥にあるとされてきました。本人にも見えにくい場所に、その人の「ほんとう」があります。自由に語るうちに、それが少しずつ表に出てきます。表に見えるものは仮の姿で、真実はその下に隠れている。長いあいだ、それが前提とされてきました。
ここ数年、その主題が移ってきた気がします。本音ではなく、事実のほうへ。事実とは、その人がやったこと、口にした言葉、書き残したメールやLINE。記録に残り、記憶に残り、相手にそのまま届きます。この移動を、私は理屈より先にカウンセリングのなかで感じています。
以前は、こう伝えていました。
「あなたは本当はこう感じているのではないですか」
奥にある気持ちをこちらが汲んで返します。けれど、これがうまく届かないことが近年むしろ増えています。「いや、そんなことはない」と返ってきます。当然かもしれません。本人にも見えない心の奥について、こちらが断定しているのですから。それは私の解釈であって、本人には確かめようがありません。受け入れるか拒むか、その二択しか残りません。そこで、言い方を変えてみました。本音を当てにいくのをやめて、行動のほうを話題にします。
「あなたが実際にしたことから、考えてみませんか」
連絡を返さなかった。その場を離れた。同じ相手にだけ繰り返し時間を割いた。——それらはこちらの推測ではありません。本人がやったことです。この進め方のほうが、話が前に進む場面がはっきり増えました。たぶん、土俵が変わるからです。「あなたの本音はこうだ」は、見えないものをめぐる当てっこになります。当てられた側は身構えます。一方、行動から入れば、本人も知っている事実から出発できます。否定しようがありません。やったことはやったことです。意味づけは動いても、起きた出来事は動きません。だから、すれ違いにくくなります。
ここで私は、行動こそが本音だ、と言いたいわけではありません。行動の奥に本音があるのかどうか、それは脇に置いておきます。ただ、行動という確かめられるものを真ん中に置いたほうが、話が前に進みます。それだけのことです。本音をめぐる当てっこより、起きたことについての対話のほうが、結局は本人の理解にも届きやすい。そう感じています。
考えてみれば、筋は通っています。人は案外、自分の気持ちを正確には知りません。何かをした後で、「あれはこういう理由だった」とそれらしく説明をつけます。理由は後から足されることが多いのです。だとすれば、語られる「本音」も後から編集された一篇かもしれません。行動のほうは、編集が始まる前にもう起きています。だから、ごまかしが利きません。
もちろん、事実だけで全部が決まるわけではありません。「わかった」の一言は、同意にも、皮肉にも、諦めにもなります。記録は意味までは決めてくれません。そして記録が重くなるほど、人は記録を作りにいきます。証拠のために言葉を選び、見られることを意識して態度を整えます。事実は演じられた事実にもなりうるのです。
それでも、と思います。現代で事実が重いのは、それが心をのぞく澄んだ窓だからではありません。本音は、口にしないかぎり誰にも届かず、何も動かさないからです。だからいつしか、本音そのものが話題にのぼらなくなりました。語られるのは行動ばかりです。あの人が何をしたか、何を書いたか。本音は、あったとしても、もう議論の机には載りません。
事実のほうが誠実だと私は思います。確かめられますし、嘘もつきにくいからです。けれど、その分、失われるものもあるでしょう。私たちは今、メールやLINEの記録に囲まれて生きています。カウンセリングは、その記録からいったん離れられる場所でした。過去に何をしたかだけでは決めつけられない。そういう時間が、少しずつ減っていくのかもしれません。
- カウンセリング2026.05.03
コラム:「〇(まる)の遊び方」
夫婦カウンセリングを行っていると、ふとした瞬間に、夫婦の間で「リスク」に対する物差しが随分と違うことに気づかされることがあります。
法律や慣習、倫理にかなった、誰からも後ろ指を指されない振る舞いを「〇(まる)の遊び方」と呼び、逆にそれらに反するものを「×(ばつ)の遊び方」と定義してみましょう。私たちは学校で〇の大切さを学び、×の世界は禁じられるものだと教わります。けれど、一歩社会へ出ると、その中間にある「△(さんかく)の遊び方」を選ばざるを得ない、あるいは自ら選んでしまう場面に出くわすことがあります。例えば、深夜に「ここから入れば最高の景色が見えるんだ」と立ち入り禁止の柵をひらりと越えてみたり、秘密の抜け道を通ってスリルを味わったりするような行為。法律上は×に近いものですが、仲間内の感覚では△という「ちょっと悪い遊び」の範疇として片付けられているのかもしれません。
あるカウンセリングでのことです。ご主人は少し納得がいかない様子でこう話されました。「家のガスが壊れたと妻から連絡があって。なんとか早く帰ろうと、会社には体調が悪いと嘘をついて早退したんです。車を飛ばして急いで帰宅したのに、妻は感謝一つしてくれませんでした」。対する奥様は、どこか不思議そうにこうおっしゃいます。「会社には正直に事情を説明して、時間休をとって帰ればいいだけじゃないですか。なぜそんな嘘をつくのか理解できません。それに、慌ててスピードを出して運転して、もし事故でも起こしたらどうするんでしょうか」。ご主人は「自分なりに問題にならない限界を見極めて、その範囲内で最大限の工夫をしたんだ。その苦労をなぜわかってくれないんだ」と、肩を落としていました。
これまで多くの方のカウンセリングを担当してきましたが、男性は「△の遊び方」の中で自分の機転や実力を発揮しようとし、女性は「〇の遊び方」という確かな土台の上で安心して力を注ごうとする傾向があるように感じます。脳科学的な知見によれば、男性ホルモンであるテストステロンが脳内の報酬系に作用し、リスクを伴う意思決定やスリルに対して脳が快感を得やすい傾向があるようです。対照的に、リスク回避や安全確保に関しては、感情や社会的規範を司る領域がより慎重に働くといった性差に関する研究成果も報告されています。こうした〇や△に関する基準のズレは、積み重なると夫婦の不和の大きな原因になり得ます。
私は男性として、同じ男性に対しては「△の魅力を過信せず、時には〇のど真ん中で遊ぶことが、実は最も高い評価や信頼に繋がることもあるんですよ」と言いたくなることがあります。ですが、そう伝えると、多くの男性は「その△のスリルや駆け引きが、たまらなくいいんですよね。子供の頃からルールの外で遊ぶのが好きでしたから」と、どこか懐かしむような反応を示されるのです。
今は連休の最中ですね。連休中というのは、普段味わえないような刺激を求めたくなるものですが、あえてルールのど真ん中で「まっとうなこと」をまっとうに楽しんでみるのもよいかもしれません。いつもは効率や近道といった△の要素を考えてしまうところを、あえて真っ直ぐな〇の道を選んでみる。そんな「遊び方」が、意外な心の充足をもたらしてくれるのではないでしょうか。
- カウンセリング2026.03.24
コラム:「怒り」を急がない、という選択
新年度が始まりました。人事異動や転職、出向など、環境の変化は私たちの心に少なからぬ負荷を与えます。精神科医・産業医として日々多くの方と接していると、この時期に生じる「摩擦」や、それに伴う「怒り」の扱いに苦慮する声が非常に多く聞かれます。
一般に、怒りのコントロールには「アンガーマネジメント」が有効だと言われています。衝動的な爆発を抑えるための「6秒ルール」や、自分の価値観を再点検する手法は、自分や周囲を傷つけないための重要な知恵です。しかし、ビジネスの現場、特に「説明不足や認識の齟齬」が深刻な問題を引き起こしている局面においては、単に怒りを抑えるだけでは本質的な解決に至らないという限界もあります。
ここで再考したいのは、私たちは「怒り」をあまりに短時間で処理しようと急ぎすぎてはいないか、という点です。
現代の職場環境では、あらゆることに迅速な対応が求められます。感情もまた、その場で処理するか、あるいは瞬時に消し去るべきものとされがちです。しかし、この「短時間で解決しなければならない」という心理的・時間的な窮屈さこそが、かえって焦燥感を煽り、本来は生産的であるはずの異議申し立てを、攻撃的な怒りへと変質させてしまう側面があるのではないでしょうか。
もし、その怒りが単なる不機嫌ではなく、「業務上のリスク」に対する真面目な反応であるならば、むしろ私たちはもっと時間的な余裕を持ってその感情を扱うべきだと考えます。
本来、日本のビジネスシーンにおいて、理由もなく気性の激しい方はそれほど多くありません。むしろ、責任感から「このままではいけない」と真面目に憤っている方が大半です。そうした価値ある怒りを、その場限りの爆発で終わらせる必要はありません。
むしろ、「丁寧すぎるほどに、長々と、そして壮大なスケールで」相手に伝えてみるという選択肢を検討してみてください。
「今、私はこの状況に強い危機感を抱いています。この些細な認識の違いが、将来的にプロジェクトの根幹を揺るがし、ひいては顧客の信頼を損なう致命的な問題になりかねない。だからこそ、今ここで時間をかけて、徹底的にこのズレを修正したいのです」
このように、怒りのエネルギーを「説明のための熱量」へと変換し、じっくりと時間をかけて背景を詳述する。そうすることで、感情の持つ破壊的な側面は抑えられ、組織の健全性を維持するための建設的な提言へと昇華されます。
怒りを「点」でぶつけるのではなく、「線」として長く、ゆったりと伸ばしていく。 せわしない新年度だからこそ、自身の感情に対してあえて「贅沢な時間」を割く姿勢を持つことが、個人の精神的安定と組織の円滑な運営の両立に寄与するものと考えています。
- カウンセリング2023.09.11
本音かパントマイムか
20年以上前、私の指導医は当時研修医の私に対してこう言った。
「患者がつらいと言えば、つらかろうと演技するのが精神科医としての初動である。」
そして、その指導医は私にこうも言った。
「患者も自分の気持ちを伝えるために、患者は医師の前でも頑張って演技したり、嘘をついたり、誇張して表現したりすることもある。そうせざるを得ない理由は、患者の深い気持ちは簡単な言葉にはならないからだ。だから、精神科医は患者の言葉や態度を言葉通りに受け止めてはならない。」先日、日本パントマイマー協会理事の北京一氏と話す機会があった。北はパントマイムの本質について「人間の営みに実態はなく、表現されるものは全て嘘である。」と何気なく語り、私の前でパントマイムを繰り広げた。それはレストランで食事をする人の日常的な動作を巧妙に演じたものであったが、パントマイムにありがちな過剰な想定や演出はなかった。そして、圧倒的な真実味と臨場感がその場を支配していた。彼は精神科医の私に対して、人々が日常生活においてある種のパントマイムをしている実態をリアルに伝えようとしたのである。
北の卓越した演技力に感動した私は、直後に彼にロールプレイを申し込んだ。私は彼に、ロールプレイのルールとして、私からのあらゆる声かけに対して必ず全て「それは違いますね。」と答えるよう要請した。そして、私からの声かけの内容は以下の2パターンある。
①間違っている内容:(例)「太陽は西から上る、これは正しいですよね。」②正しい内容:(例)「1+1=2、これは正しいですよね。」
私は北に対して、全ての質問に対して同じ声のトーンや態度で応えるようには要請していなかったが、北は、軽やかに「それは違いますね。」と同じ声のトーンで答え続けた。「1+1=2ですよね」と言われても、平然と「それは違いますね。」と答えたのだ。私は一連のロールプレイを終えて、さすが演技のプロは頼まれた役を抵抗なく演じることができるものだと感嘆した。
カウンセリングにおいては、北のように抵抗感なく特定の役柄を演じることできるクライアントは稀である。多くの方は本音と言葉や態度の間に乖離がないよう努力しながら語ろうとする。最近、とある心理面接でクライアントが私にこう語った。
「先生、僕が言いたいことなんて簡単に言葉にできませんよ。」
それはそのとおりだろう。そこで私は、クライアントには言いにくいことでも、とりあえず何かの役を演技しながら、気軽に語ってもらいたいと思った。その役とは、例えば「怒っている人役」「悲しんでいる人役」「疲れている人役」「自信がない人役」「変わった人役」「常識人役」などだ。そのようなとりあえずの役を演じながら話していると、それまで気づかなかった新たな自分の役柄を見出すことができるようになるのかもしれない。- カウンセリング2023.02.19
心とは
大先輩の精神科医から、心とは何か、についてメールをいただいた。心は存在するのか、しないのか、その実態は何か。正直、どう返信したら良いか迷っている。私が専門科を選ぶ際に精神科医を志したのは、このような問題を考え抜くことに興味があったからであり、今でも常日頃から考えているテーマである。しかし、この先輩からのメールには、簡単には応え難い何かズシッとした重みがあった。
従来、人間の営みや成長のプロセスは心、身体、頭脳の3要素に分割されて論じられてきた。例えば、「文武両道」という言葉は、身体と頭脳を鍛えることで心も成長するだろうとの期待を包摂している。3要素の協働によって、健全な成長が図られるということであろう。それは、常識的にも社会的にもすんなり受け入れられる話だ。心理の世界では、3要素がうまく噛み合っていなかった例としてゆとり教育がしばしば議論の対象になる。ゆとり教育と言いつつ、生徒の課題量が軽減されたのみで、子供達の心のゆとりそのものが十分に捉えられていなかったのではないかという反省をしばしば耳にする。産業保健の世界でも同様である。社員の心の問題が常に話題になるが、過重労働対策(身体的負担への対策)やパワハラへの啓蒙活動 (心の問題への知的理論武装?)など、身体や頭脳での対策に終始し、社員の方が心から笑顔になるような対策は現状でも少ない。情報が溢れ、様々な価値観が許容されている現代においても、心そのものを直接的に捉え、有効に対応することは非常に難しいことなのであろう。
心そのものについての学術的な研究はたくさんある。EQ(Emotional Quotient)理論では情動の意味を認識し、それを活かしながら問題解決する能力が問われている。情動は自律神経を介して身体に影響するものであり、体調の変化を覚知する感性が大切なのかもしれない。心の理論(Theory of Mind)では他者の気持ちを推測する能力が問われているが、その際、言語や状況を俯瞰して理解する知能が必要であろう。二つの研究から、心とは、身体への感性と状況判断に関する知性の二面性があると言える。それで事足りると言えばそれだけのことであるが、そのような社会的とも言えるほど常識的な視点は心そのものから遠ざかっているような気がしてならない。
人は他者の心を心単体として認識することは可能なのだろうか。私は、詳細な解説は割愛するが、言語を介して共感的に感じられるエンパシー(Empathy)は言語能力を要するために、心そのものとは若干距離があるように思う。むしろ、言語を介さず感覚的に生起されるシンパシー(Sympathy)の方が心の本質に近いように思う。例えば、痛みを訴える患者様に、情緒を込めて「どうされたのですか?」と伝える際に、心のふれあいを感じる。その際、身体への感性や状況判断はあまり関与しないようにも思う。シンパシーは労力を要さない。心とは、実態があるようでなく、意外にも気楽に扱われるべきものなのかもしれない。
かつて精神科を選ぶ医師にとって必読書とされていた神田橋條治著「精神科診断面接のコツ」(岩崎学術出版社,1990年)には、多くの精神科医を圧倒的に魅了する「雰囲気」としか表現できない「何か」があったように私は思う。それは、精神科臨床の要諦だけでなく、心そのものをおおらかに捉える楽観的な感覚が込められていたからではないだろうか。それを22年ぶりに読み返してから、先輩への返信をゆっくり考えたいと思う。
- カウンセリング2022.04.16
本音を話せない新入社員について
4月になりました。多くの企業では新入社員が入社式を終え、新たな環境で研修を受けています。その際、指導者が新入社員に「何か質問はありますか?」と聞くと、新入社員が無言になってしまうことが少なくないようで、産業医面談でもそのようなお話を度々耳にします。このように指導者の質問の意図や前提がうまく伝わらず、新入社員を緊張させてしまった場合、どのように対処したら良いでしょうか。私は配慮に満ちた適切な雑談が有効であると考えています。一般に、話題や目的が限定されない気楽な雑談にはさまざまなメリットがあります。
・本音を話しやすい
・言いたいことを言えて気が楽になる
・物事を多面的に捉えられる
・自分が何を知っていて、何を知らないかが分かる
・話し相手の立ち位置や意図をおおまかに理解できる。
・相手の体調や精神状態がわかりやすくなるしかし、雑談は以下の通り、想像力や推測能力を要するために、苦手な人が多くいらっしゃることも事実です。
・雑談は事実に基づく話だけでなく、不安や期待に基づく想像上の内容も含まれる
・その会話が雑談であることを当事者間で認識できていないと、雑談は成立しない
・雑談において話し相手の立ち位置や会話の目的を推測する必要がある
・相手が話したいことを、表情や声のトーンなどの言葉以外の情報から推測する必要がある
・相手の意図を推測し、その不確実な推測結果に基づき適宜対処する必要がある
・会話において、話し手、聞き手の切り替えのタイミングを推測する必要がある
・雑談が終了し、その後話題が真面目な話に移行した場合、その変化を適切に推測しなければならない新入社員の教育において雑談を展開する際、会話の最初に「これは雑談だけど」「ちょっと雑談していい?」「軽く雑談しませんか?」など、これからの会話が雑談であることを相手にはっきり伝える方が無難と言えます。そして、雑談が苦手な人や雑談を嫌がる人には、雑談を押し付けることを控え、時間をかけた丁寧なやりとりを心がけることが大切です。また、雑談を苦手と感じる人にとっては、心理カウンセリングを受けることで雑談のスキル改善が期待できます。いずれにしても、雑談や真面目な話がうまく組み合わされ、コミュニケーションが最適化されることが、新入社員の本音をしっかりと受け止める上で重要なことと言えるでしょう。
