Columnコラム

カウンセリング2023.09.11

本音かパントマイムか

 

20年以上前、私の指導医は当時研修医の私に対してこう言った。
「患者がつらいと言えば、つらかろうと演技するのが精神科医としての初動である。」
そして、その指導医は私にこうも言った。
「患者も自分の気持ちを伝えるために、患者は医師の前でも頑張って演技したり、嘘をついたり、誇張して表現したりすることもある。そうせざるを得ない理由は、患者の深い気持ちは簡単な言葉にはならないからだ。だから、精神科医は患者の言葉や態度を言葉通りに受け止めてはならない。」

 

先日、日本パントマイマー協会理事の北京一氏と話す機会があった。北はパントマイムの本質について「人間の営みに実態はなく、表現されるものは全て嘘である。」と何気なく語り、私の前でパントマイムを繰り広げた。それはレストランで食事をする人の日常的な動作を巧妙に演じたものであったが、パントマイムにありがちな過剰な想定や演出はなかった。そして、圧倒的な真実味と臨場感がその場を支配していた。彼は精神科医の私に対して、人々が日常生活においてある種のパントマイムをしている実態をリアルに伝えようとしたのである。

 

北の卓越した演技力に感動した私は、直後に彼にロールプレイを申し込んだ。私は彼に、ロールプレイのルールとして、私からのあらゆる声かけに対して必ず全て「それは違いますね。」と答えるよう要請した。そして、私からの声かけの内容は以下の2パターンある。
①間違っている内容:(例)「太陽は西から上る、これは正しいですよね。」

②正しい内容:(例)「1+1=2、これは正しいですよね。」

私は北に対して、全ての質問に対して同じ声のトーンや態度で応えるようには要請していなかったが、北は、軽やかに「それは違いますね。」と同じ声のトーンで答え続けた。「1+1=2ですよね」と言われても、平然と「それは違いますね。」と答えたのだ。私は一連のロールプレイを終えて、さすが演技のプロは頼まれた役を抵抗なく演じることができるものだと感嘆した。

 

カウンセリングにおいては、北のように抵抗感なく特定の役柄を演じることできるクライアントは稀である。多くの方は本音と言葉や態度の間に乖離がないよう努力しながら語ろうとする。最近、とある心理面接でクライアントが私にこう語った。
「先生、僕が言いたいことなんて簡単に言葉にできませんよ。」
それはそのとおりだろう。そこで私は、クライアントには言いにくいことでも、とりあえず何かの役を演技しながら、気軽に語ってもらいたいと思った。その役とは、例えば「怒っている人役」「悲しんでいる人役」「疲れている人役」「自信がない人役」「変わった人役」「常識人役」などだ。そのようなとりあえずの役を演じながら話していると、それまで気づかなかった新たな自分の役柄を見出すことができるようになるのかもしれない。

カウンセリング2023.02.19

心とは

 

大先輩の精神科医から、心とは何か、についてメールをいただいた。心は存在するのか、しないのか、その実態は何か。正直、どう返信したら良いか迷っている。私が専門科を選ぶ際に精神科医を志したのは、このような問題を考え抜くことに興味があったからであり、今でも常日頃から考えているテーマである。しかし、この先輩からのメールには、簡単には応え難い何かズシッとした重みがあった。

 

従来、人間の営みや成長のプロセスは心、身体、頭脳の3要素に分割されて論じられてきた。例えば、「文武両道」という言葉は、身体と頭脳を鍛えることで心も成長するだろうとの期待を包摂している。3要素の協働によって、健全な成長が図られるということであろう。それは、常識的にも社会的にもすんなり受け入れられる話だ。心理の世界では、3要素がうまく噛み合っていなかった例としてゆとり教育がしばしば議論の対象になる。ゆとり教育と言いつつ、生徒の課題量が軽減されたのみで、子供達の心のゆとりそのものが十分に捉えられていなかったのではないかという反省をしばしば耳にする。産業保健の世界でも同様である。社員の心の問題が常に話題になるが、過重労働対策(身体的負担への対策)やパワハラへの啓蒙活動 (心の問題への知的理論武装?)など、身体や頭脳での対策に終始し、社員の方が心から笑顔になるような対策は現状でも少ない。情報が溢れ、様々な価値観が許容されている現代においても、心そのものを直接的に捉え、有効に対応することは非常に難しいことなのであろう。

 

心そのものについての学術的な研究はたくさんある。EQ(Emotional Quotient)理論では情動の意味を認識し、それを活かしながら問題解決する能力が問われている。情動は自律神経を介して身体に影響するものであり、体調の変化を覚知する感性が大切なのかもしれない。心の理論(Theory of Mind)では他者の気持ちを推測する能力が問われているが、その際、言語や状況を俯瞰して理解する知能が必要であろう。二つの研究から、心とは、身体への感性と状況判断に関する知性の二面性があると言える。それで事足りると言えばそれだけのことであるが、そのような社会的とも言えるほど常識的な視点は心そのものから遠ざかっているような気がしてならない。

 

人は他者の心を心単体として認識することは可能なのだろうか。私は、詳細な解説は割愛するが、言語を介して共感的に感じられるエンパシー(Empathy)は言語能力を要するために、心そのものとは若干距離があるように思う。むしろ、言語を介さず感覚的に生起されるシンパシー(Sympathy)の方が心の本質に近いように思う。例えば、痛みを訴える患者様に、情緒を込めて「どうされたのですか?」と伝える際に、心のふれあいを感じる。その際、身体への感性や状況判断はあまり関与しないようにも思う。シンパシーは労力を要さない。心とは、実態があるようでなく、意外にも気楽に扱われるべきものなのかもしれない。

 

かつて精神科を選ぶ医師にとって必読書とされていた神田橋條治著「精神科診断面接のコツ」(岩崎学術出版社,1990年)には、多くの精神科医を圧倒的に魅了する「雰囲気」としか表現できない「何か」があったように私は思う。それは、精神科臨床の要諦だけでなく、心そのものをおおらかに捉える楽観的な感覚が込められていたからではないだろうか。それを22年ぶりに読み返してから、先輩への返信をゆっくり考えたいと思う。

カウンセリング2022.04.16

本音を話せない新入社員について
4月になりました。多くの企業では新入社員が入社式を終え、新たな環境で研修を受けています。その際、指導者が新入社員に「何か質問はありますか?」と聞くと、新入社員が無言になってしまうことが少なくないようで、産業医面談でもそのようなお話を度々耳にします。このように指導者の質問の意図や前提がうまく伝わらず、新入社員を緊張させてしまった場合、どのように対処したら良いでしょうか。私は配慮に満ちた適切な雑談が有効であると考えています。

一般に、話題や目的が限定されない気楽な雑談にはさまざまなメリットがあります。

・本音を話しやすい
・言いたいことを言えて気が楽になる
・物事を多面的に捉えられる
・自分が何を知っていて、何を知らないかが分かる
・話し相手の立ち位置や意図をおおまかに理解できる。
・相手の体調や精神状態がわかりやすくなる

しかし、雑談は以下の通り、想像力や推測能力を要するために、苦手な人が多くいらっしゃることも事実です。

・雑談は事実に基づく話だけでなく、不安や期待に基づく想像上の内容も含まれる
・その会話が雑談であることを当事者間で認識できていないと、雑談は成立しない
・雑談において話し相手の立ち位置や会話の目的を推測する必要がある
・相手が話したいことを、表情や声のトーンなどの言葉以外の情報から推測する必要がある
・相手の意図を推測し、その不確実な推測結果に基づき適宜対処する必要がある
・会話において、話し手、聞き手の切り替えのタイミングを推測する必要がある
・雑談が終了し、その後話題が真面目な話に移行した場合、その変化を適切に推測しなければならない

 

新入社員の教育において雑談を展開する際、会話の最初に「これは雑談だけど」「ちょっと雑談していい?」「軽く雑談しませんか?」など、これからの会話が雑談であることを相手にはっきり伝える方が無難と言えます。そして、雑談が苦手な人や雑談を嫌がる人には、雑談を押し付けることを控え、時間をかけた丁寧なやりとりを心がけることが大切です。また、雑談を苦手と感じる人にとっては、心理カウンセリングを受けることで雑談のスキル改善が期待できます。いずれにしても、雑談や真面目な話がうまく組み合わされ、コミュニケーションが最適化されることが、新入社員の本音をしっかりと受け止める上で重要なことと言えるでしょう。