Columnコラム

産業医2023.04.19
新入社員研修について
医師は、患者が求めるものを患者に提供し、患者からの期待に応えることで、患者から肯定されるようになります。医師自身が素晴らしいと思うもの、世間が素晴らしいと思うものではなく、個々の患者が求めるものが大切なのです。患者が「1+1はなんですか?」と聞かれれば、学校では「2です」と答えることが正解ですが、医療現場では医師は「どうしてそんな質問をするのですか?」と応えることが正解です。なぜなら、患者は1+1が2であることを知っており、わざわざ医師に対して「2」と答えることを求めていないからです。

 

 

これは私が22年前に研修医の頃、当時バイトで勤めていた病院のとある方が私に語ってくださった言葉です。駆け出しの研修医であった私は、その言葉とその方の患者中心の姿勢に感動しました。それから20年以上の年月が経ちましたが、私はその時のことを今でも鮮明に記憶しています。私が産業医の業務に従事するようになってから新入社員向け研修を依頼されるようになりましたが、その都度、私はその方の言葉を、患者→上司、医師→新入社員、医療現場→職場と置き換えて、引用していました。その反応は、私の受け止め方と同様に、熱烈でポジティブなものでした。

 

ところがここ2〜3年、私が同じ内容を新入社員に教示しても、特に新入社員において、好意的な反応は少なくなってきていました。それを受けて、ついに私は、本コラム冒頭の引用文を昭和的な悪い上司の典型例として新入社員に紹介したところ、一人の新入社員から「上司には大事なことをそのまま分かりやすく伝えてほしいので、その通りだと思います。できれば、仕事で大事なことは全て動画サイトにアップして、それを僕らがいつでも閲覧できるようにしてほしいです。」と言われました。私は友人の産業医やお世話になっている人事部長にこの内容をシェアしたところ、同じようなことは他社でも広く認められるとのことでした。この新入社員の勇気ある発言は、人によって評価は分かれるでしょうが、私は素直に尊重したいと考えています。

産業医2022.10.25

理想の人事部とは

 

私は産業医として様々な人事部の方々と接する機会があった。中には社内の複雑な人間関係を寝技で調整し企業の伝統的な秩序や組織の安定に尽力することが得意な旧来型の方々や、社内の反対を押し切りトップダウンで人事制度の改革を断行し、経営層から賞賛された新世代型の方々もいらっしゃった。いずれにせよ、多くの人事部の方々は、社員全員から必ずしも賛同されないストレスフルな職務に従事していると言えるだろう。しかし、最近のトレンドを俯瞰すると、詳細は省くが、どの会社の人事部も、私の人事部への信頼とは異なり、その伝統的英知と卓越した決断力に相応しい十分な敬意が社員から払われているとは思えない。

 

現代の会社では過重労働は一概に不健康であるとされ、時間内に求められた仕事を期待通りにこなせることが理想とされる。コミュニケーションのあり方も単純で明示的なものが好まれ、複雑な以心伝心を良しとした昭和の世代からすると拍子抜けである。また、人事評価においては明確な達成度に応じた合理的なアセスメントが必須とされる。具体的な成果がそのまま報酬に直結し、その反面、長期的視点に立った他者から見えにくい我慢や影の努力は評価されにくい。新入社員は先輩から「自分で考えてみて。」と言われても、内心「どうして具体的に教えてくれないのだろうか。」と不満を抱えてしまうものである。つまり、一言でまとめると現代の労働分野は「省エネの時代」とも言えよう。

 

そもそも、あらゆる省エネは保有する資源の最大活用を前提とする。個々の社員の省エネの背景には大きな余剰のエネルギーがあるはずである。旧来の慣習に反して二刀流に挑戦した大リーグの大谷選手の活躍を見ると、その目指す理想像の大きさや発想の大胆さに驚かされるが、それと同様に、現代的な社員の会社における省エネ志向の背景には、会社外での幸せや自己実現への強烈な希求があるのかもしれない。その仮説が正しいとするならば、労働現場から撤収されたエネルギーはどこに向かうのだろうか。そう考えると、人事部は、社員の会社内における挙動に対して、会社外の営みを推測しつつ、その幸せを最大化するよう働きかける能力が求められているのではないだろうか。その場合、時として人事部が社員のわがままをどこまで許容できるかが試されことになるわけであるが、その成否は人事部の腕力や胆力次第であろう。

 

そのような新しい関わり方は、現段階において、会社全体の生産性に直結するかは定かではなく、また、旧来の企業文化においてはプラスに評価されるどころか非難されかねないものである。しかし、社員の幸せと成長に会社の枠を離れておおらかに働きかける姿勢は、人事部の理想と言えるのではないだろうか。また、そのような観点を持ってこそ、はじめて社員の労働への熱意を引き出せる有効な施策を打ち出せるようになるように思えてならない。

 

*2022年10月22日、Stress Labo 軽井沢で弁護士と会社経営者をお招きし、会社経営に関する検討会を開催。その際の参加者からのコメントの要旨をコラムとして記載した。

産業医2022.06.02


産業医とポルシェ

 

スポーツカーの代名詞であるポルシェのブレーキ性能は、ユーザーから高い評価を得ている。ポルシェのエンジン開発の基本コンセプトとして、エンジン出力の4倍に相当するブレーキ制動力が担保されているといわれ、300馬力のエンジンなら1200馬力のパワーがブレーキに与えられていることになる。特にポルシェのラインナップの中の911GT3という上位モデルは、時速100キロから急ブレーキを踏むと、そこから30.7mでクルマは静止するという。車に速さを求めるユーザーが、ブレーキ性能に絶対の信頼を求めることは自然な発想だろう。

 

先日、友人の産業医と打ち合わせを兼ねて散歩していたところ、彼は筆者にこう言った。

「最高の産業医ってどんな先生だろうね。やっぱり、休職が必要な、どの社員に対しても、ためらいなく要休職と決断し、それを社員に、即、納得させられる産業医かな。」

その言葉の真意を尋ねると、

「誰でも産業医の経験をある程度積めば、だいたいどのような状態で社員を休職にすべきかって、相場で判断できるようになるよね。でも、判断できるだけじゃダメで、即座に実行できて本物。世の中には、成長志向の前向きな会社や、優秀で意欲が極めて高い社員は想像以上にたくさんいて、そんな会社や社員はギリギリまで無理してでも成果を出したいわけ。だから、彼らは成果が出てさえいればストレス状態は全然OKで、その程度の疲労状態で産業医から強制的に仕事を止められるなんてナンセンスだと思っているの。彼らは、本当に病気になりそうな時に限定して会社を休みたいし、そんな彼らのニーズに応えるには、疲労がたまっても病気になるギリギリのタイミングまで何もせず、一瞬でも病気になりかかったら、即、確実に、休職にしてほしいわけ。」との回答であった。世間の評価は分かれるかもしれないが、友人産業医の言葉には、なるほど、と思わせる鋭いものがある。

 

実際の労働現場で奮闘している社員が、ある日突然、産業医面談で産業医から休職が必要ですと言われた場合、休職に納得することは簡単なことだろうか。社員に「健康が第一であるという良識」「産業医の専門性への絶大な信頼」「休んでも、会社から再度活躍の場が与えられるだろうとの期待」などがないと、簡単に休職は実現しないであろう。特に、産業医の社員に対する説明能力は休職を即実現させる上で重要であり、産業医から社員に対して、なぜ今休職が必要なのか、を誰もがわかるような明解な言語をもって伝えられなければならない。それができる優秀な産業医は稀であるが、彼らは、いつでもどの社員にも休職が必要であることを納得させられる自信があるから、軽度な疲労レベルでは敢えて社員に注意喚起をせず、経過観察のための面談を継続的に設定しつつ、むしろ軽く励ますことが彼らのお作法であると筆者はしばしば耳にする。

 

話は最初に戻るが、ポルシェのプレーキ性能は過剰なものではなく、加速性能とのバランスにおいて合理的である。急成長を求める企業の経営者は、優秀な産業医を選任し、健康経営を地道に進め、社員のセルフケアへの意識を高め、そのような営みを通して普段から会社のブレーキ性能を向上させるよう努めるべきである。そうすることで、企業や社員は、いくらでも強くアクセルを踏むことができるようになる。また、会社全体のブレーキシステムの根幹に、これまで以上に、医学の専門家である産業医が深く関わるべきであると筆者は考えている。

産業医2022.05.08

休暇に伴う疲労について

 

G Wは概ね今日で終わり、明日から多くの企業や学校において通常のスケジュールとなります。休暇前に会社や学校で日々のタスクに追われていた方々にとって、連休は楽しみや安らぎを追求できる貴重な機会と言えるのですが、例年この時期になると、私が診療しているクリニックでは、休み中に混雑している行楽地へ遠出したり、普段経験したことがない新しい体験をしたことで内心疲れを感じたとおっしゃる方が多いものです。そのため、行楽地の混雑を避けて自宅でゆっくりと過ごすことを選ぶ方も少なくありません。このような本来は楽しいはずの休暇の陰に潜む独特の疲労をどのように考えたら良いでしょうか。本コラムでは、敢えてこの問題を真面目に考えてみたいと思います。

 

まず、通常の生活における疲労について考えてみたいと思います。産業医目線で勤労者の日常の働き方を能力特性の面から評価しますと、多くの社員様は自分の得意な能力に適合した職務を選択し、主にその得意な能力を使って日々のタスクを処理していると言えます。コミュニケーション能力が高い方が営業職を選んだり、論理的な思考能力が高い方が弁護士を選ぶ状況が良い例でしょう。そして、コミュニケーション能力が高い営業職の方々の疲労は、顧客からのクレーム、同僚との意思疎通の障害、上司からの理不尽な叱責など、コミュニケーション上のトラブルによって発生しがちですし、論理的な思考能力が高い弁護士は、延々と非論理的な会話にお付き合いさせられる中で疲労を感じがちです。つまり、産業医としての経験から考えると、多くの勤労者にとって、職務上の疲労は、個々の社員様が有する特異な能力や才能に関連して、限局的に発生しがちであると言えるのです。このことは意外にも多くの方が十分に意識していないことであり、効果的な休み方を考える上でヒントとなりえます。

 

次に、休暇の効果とその疲労について考えてみたいと思います。休暇中、勤労者は通常の営みから離れることで、普段酷使している特定の能力を休ませることができます。例えば、営業マンは利害関係者とのコミュニケーションから解放されます。このことは休暇の分かりやすい効果と言えるでしょう。その一方、休暇中に勤労者は「楽しむ」「消費する」など、普段の職場とは違う発想に立って日常の職務とは違う行動をすることで、休暇独特の疲れがもたらされます。そのような慣れないことをすることで発生する疲れは、利き腕でない腕でお箸を使う際の疲労と似ています。言わずもがなですが、利き腕でない腕でお箸を使うとスピーディーに料理をつかむことができませんし、その行為自体に疲れを伴うものです。ここで注意したいことは、我々の能力は多様かつ多元的であり、右利きか左利きかという単純な二者択一ではないことです。利き腕ではない腕は一本ではなく多数あり、その多種多様な能力をいかに発達させるかということは、日々新しい課題に直面する多くの勤労者や学生にとって重要な問題であるとも言えます。その上で、仮に休暇中に何かミスを起こしたとしても、仮に休暇中の目標が未達に終わったとしても、本質的に業務上の責任が問われることはありません。このことは休暇の特徴であり、効果とも言えるでしょう。

 

以上の通り、休暇は、「利き腕」、つまり特定の得意な能力に関連した疲れを解消し、普段使っていない様々な潜在的な能力を幅広く活性化させるための貴重な機会と言えます。そう考えると、休暇特有の疲労は概ね肯定的に捉えて良いと私は思います。特に、勤勉とされる日本人にとって、休暇は大きな潜在的利益をもたらすものでしょう。たまには思いっきり遊んで思いっきり疲れてみる、このような発想はいかがでしょうか。

産業医2022.02.25

コラム)経営者は非高ストレス者をどう評価すべきか

ストレスチェックで高ストレス者と判定されなかった社員(=非高ストレス者)は、内発的モチベーションの高い健康的な社員と、ストレスへの対処には成功しているもののモチベーションが低い社員に大別することができます。ストレスチェックの集団分析において、経営者にとって優先して改善すべき課題は後者への対応であり、経営者は高ストレス者を減らす施策を適切に推進するだけでなく、まずは統計的に9割近くに及ぶとされる非高ストレス者の実情を正確に把握する必要があります。
モチベーションが低下した非高ストレス者の実情を考える上で有効な視点として、燃え尽き症候群(バーンアウト)に関する知見をご紹介します。
Bernier (1998)は、バーンアウトを経験した方へインタビュー調査し、バーンアウトからの回復過程を6つの段階に整理しました。
第一段階:「問題を認める」
第二段階:「仕事から距離をとる」
第三段階:「健康を回復する」
第四段階:「価値観を問い直す」
第五段階:「働きの場を探す」
第六段階:「断ち切り、変化する」
この全6段階は、燃え尽きた社員が職場と心理的距離をとり、人生の主体者としての独立した立ち位置を回復させる健康志向的なプロセスと言えます。バーンアウトからの回復過程において、ストレスや過重な労務負荷は当該社員に対し会社から離れる方向へ強い遠心力をもたらしますが、その遠心力はバーンアウトした社員だけでなく、バーンアウトしていない非高ストレス者に対しても類似の力を及ぼすと考えられます。特に非高ストレス者と判定された社員の離職率が高い企業では、このことに注意が必要です。

また、バーンアウトにおいて脱人格化 (depersonalization)と呼ばれる思いやりのない紋切り型の態度が認められるとされていますが、非高ストレス者においても脱人格化の兆候が認められることは少なくありません。社員自らがストレスを緩和させるため自衛的に脱人格化を選択しているのではないかと考えられる事例さえ、産業医面談でしばしば認められています。そのため、非高ストレス者の中には、バーンアウトのケースと同様に、職場でのストレスを緩和させるため無意識的に感情表出を低下させたり、意図的に職場との心理的距離をとることで職場でのストレスを軽減させることに成功した見かけ上適応的な社員が一定割合存在することを想定することが重要と言えます。

経営者が、そのような表面的な適応を呈している非高ストレス者の発生を早期に把握するためには、個々の社員のパフォーマンスの実態を直接的、継時的に把握し、社員のモチベーションを常時モニタリングできるシステムを構築することが有効と言えます。逆に経営者が経常利益だけに注目してしまうと、社員のパフォーマンスの低下傾向を見逃してしまうことになりかねません。経営者はストレスチェックの集団分析において、高い非高ストレス者率のみをもって健康な社員が多いと安心することなく、個々の社員のパフォーマンスの実態と非高ストレス者率の乖離の程度についてその意味や背景を詳細に検討し、有効な対策を検討することが重要と言えるでしょう。

産業医2022.02.19

コラム)経営者から見た集団分析結果

衛生委員会でストレスチェックの集団分析結果を検討する際、高ストレス者率をいかに減らすかに議論の方向性が集約される傾向がありますが、経営者目線と乖離した結論となりがちです。そもそも経営者は、集団分析結果を独自にどのように分析すれば良いのでしょうか。

会社の事業全体の方向性を決定できる経営者には高ストレス者率を低下させうる様々な選択肢がありますが、以下のようなアプローチは、時に、企業の成長スピードを低下させてしまいます。
・事業内容の変動を減らす(社員が職務に習熟しやすくなる)
・協調性や共感能力の高い人を優先的に採用する(社内のコミュニケーションが良好になる)
・職場の組織編成を固定する(マネジメント体制が安定化する)

このようなアプローチは組織運営を安定化させる一方、変化の乏しい内向きな企業風土が強化され、その結果企業の成長スピードまでもが低下しかねません。また、経営者にとって、高ストレス者の割合が低いことだけをもって現状の事業運営が健全であると早合点してしまうと、企業活動の衰退兆候を見逃してしまうことにもなりかねません。

一方、急成長を目指す多くの企業においては、以下のような状況が一時的に発生しやすくなり、高ストレス者率の増大に注意が必要です。
・事業内容が拡大し、かつ、内容も多様化・複雑化している(社員が未経験の職務を担当することが増える)
・自発性、創造力、発信力、専門性が高い方を多く採用している(協調性やコミュニケーション能力が高い人が採用されるとは限らない)
・職場の組織編成が頻繁に変わる(個々の社員の役割が不安定になりがち)

したがって、経営者がストレスチェックの集団分析結果を評価する際、事業の成長スピードと高ストレス者率の最適なバランスを検討することが重要であると言えるでしょう。