Columnコラム

本の紹介2024.03.06

「職場でのカウンセリング」の著者に聞く(その4) : 亀野圭介

 

第5章 企業の管理者の役割と心理職との連携 亀野圭介
 1.企業の特性と管理者が置かれている状況
 2.心理職と企業の管理者・人事部との連携
 コラム② 人事の仕事と気持ちのゆとり(亀野圭介)

 

1.どのような思いで執筆を引き受けたのでしょうか?
本書のコンセプトは私のこれまでの人事実務で感じた以下の課題意識に応えるものであり、企業の現場のリアリティをお伝えすべく執筆をお受けしました。
・企業におけるメンタルケース対応は、産業医や心理職などの専門家・管理者・人事担当者の連携が必要だが、実際の連携には苦労が伴う。
・連携の難しさは互いの立場や優先順位の違いに起因する。特に企業独特の論理が社外の専門家から想像し辛いことが大きな要因であり、その内容がセンシティブであるが故に管理者が本音を表に出し辛い事情も存在する。

 

2.執筆を通して、1番苦労したことはどのようなことですか?
「企業」と一括りにするのが危険なほどに各企業は千差万別であり、その制度や運用も常に変化しています。だからといってそれを理由に過度に一般化してしまえば、リアリティが削がれて本末転倒となるため、いかに実体験を通じた具体事例を盛り込むか苦労しました。
 

3.本が出版されて、今どのようなお気持ちでしょうか?
今後の日本企業の健康経営の進歩に伴い本書の内容は基礎知識化していくのだと思います。今回貴重な執筆の機会を頂いた編著者 財津先生・池田先生、岩崎学術出版社 鈴木様に御礼申し上げます。
 

4.読者へのメッセージをお願い致します。
たとえ企業で働いた経験があったとしても、管理者や人事部がどんな視点から対応にあたっているかを知る機会は限定的です。各ケースにどう対応すべきか、組織内での公平性や統制にどう配慮するか、異なる立場に置かれた関係者が協議して最良の方法を探ることになりますが、本書が各関係者の相互理解を促進し、円滑なコミュニケーションの一助となることを祈ります。

本の紹介2024.03.06

「職場でのカウンセリング」の著者に聞く(その3) : 池田健

 

第7章 精神科医の立場から 池田 健
 1.職場でのストレスを受けるとどうなる?
 2.うつ病
 3.心身症
 4.適応障害
 5.不安障害
 6.燃え尽き症候群
 7.睡眠に関する問題
 8.アルコール依存症
 9.自閉スペクトラム症
 10.注意欠如多動症
 
 おわりに

 

1.どのような思いで執筆を引き受けたのでしょうか?
長年個人的に親交のある財津先生や、彼が開業後に専門とされている企業心理学の第一線で活躍されている方々が、ご専門の立場から執筆されることを知り、執筆と編集を引き受けさせていただきました。

 

2.執筆を通して、1番苦労したことはどのようなことですか?
私は普段、精神科、心療内科、あるいは内科全般の医療従事者として働いています。このため、企業心理学に関しては知らないことも多く、ケース提示などで苦労する部分がありました。
しかし、それ以上に、編集の過程で、各著者の方々の文章の完成度が高く、内容も平易かつ充実しており、学ぶ喜びがありました。
毎回、監修や編集の作業では、手直しに四苦八苦する事が常ですが、今回ほど、楽しく、ラクチンな編集作業は初めての経験でした。

 

3.本が出版されて、今どのようなお気持ちでしょうか?
毎回、本を出す度に、たまっていた宿題を終えたような荷下ろし感と、「まだ宿題を続けていたいのに・・」というなごり惜しさのような、アンビバレントな感情におそわれます。特に今回は後者の気持ちが強く、それだけ私にとって充実した時間であったことを実感しています。

 

4.読者へのメッセージをお願い致します。
「あとがき」にも記したように、まだ、読者の方々には、それほど馴染みのない企業心理学に関して、多職種の専門家が一同に介して執筆した本はほとんど皆無であるのが実状です。これを機会に、この分野に興味を持っていただければ、これに勝る喜びはありません。ご批判、ご叱責も含めて、多くのフィードバックをお待ちしております。

本の紹介2024.03.04

「職場でのカウンセリング」の著者に聞く(その2) : 冲永昌悟

 

第4章 産業医の役割と心理職との連携 冲永昌悟
 1.産業医業務の基礎知識
 2.心理職と産業医との連携
 コラム① 私が産業医になった理由(冲永昌悟)

 

1.どのような思いで執筆を引き受けたのでしょうか?

 

僕は、普通の医師とはちょっと異なる経路で医師となりました。まずは、文系の法学部の大学に進学し、その後、銀行員となり、医師となりました。その辺のことを少しお話ししたいと思います。
僕は、1997年に日本興業銀行に入行し、新人社員として、東京支店という支店の営業部の最前線に配属され、社会人の1歩を踏み出しました。その頃は、バブル崩壊後、金融危機と呼ぶに相応しい年で、証券会社や、銀行など大手金融機関が次々と、経営困難に追い込まれた時期でもありました。
そんな中、営業の最前線にいた僕は、早朝から深夜まで、ほぼ毎日恒常的に残業業務が続いていました。経験したことない金融危機に法律や制度が追いついておらず、海外からの法整備の注文が殺到し、政府や金融当局の指示が二転三転し、業務量が増大し、金融業界全体がパニックに陥っていました。
組織全体に多大なストレスがかかり、心や体を害する従業員が増え、僕自身も出口の見えない状態に、疲労と倦怠感がつのり、ただただおびえた毎日を過ごしていました。
この頃に、漠然とではありますが、働く職場と、健康というものを意識し始めました。社員や、組織全体の健康が阻害されると、生産性も低下することを目の当たりにしたからです。産業医という存在を知ったのもこの頃でした。その後、医学部へと進路を変更し、産業医として働くことを念頭に、いろいろな分野の診察ができるオールランドな医師を目指しました。
研修医の時なども、確かに業務はつらく、個人的に当直など肉体的な負荷はかかっていました。しかし、1997年の銀行員のときのように、組織全体が制度疲弊をおこし、ストレスが慢性的に継続している状態とは異なるものでした。
そして、2020年になると、コロナウイルスによるパンデミックがおこり、急激な社会情勢の変化がおこりました。その中で、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の産業医の業務を行うことになりました。感染症対策は勿論ですが、この時も、開催年を1年遅らすべきか?スタジアムは無観客にするべきか?など国の方針が二転三転し、急激に業務が増え、従業員に多大なストレスがかかりました。産業医としてもギリギリの選択を何度もしたことを覚えています。
今後も、各企業においてメンタルヘルスの重要性は言うまでもありません。個人的にケアをするのは勿論大事ですが、企業が組織的に行うことはもっと大事なことだと思います。大切なのは、組織として適切なメンタルヘルス対策を行うことだと思います。
この本では、産業医の立ち位置から、組織としてのメンタルヘルス対策のコツや流れみたいなものを中心に書かせて頂きました。いままでの自分の体験を踏まえ、この本が少しでも企業内で役立つことになれば望外の喜びです。

 
2.本が出版されて、今どのようなお気持ちでしょうか?
素直に嬉しいです。今後日本において、産業医を中心とした健康経営的な文化はますます広がっていくと思われます。その中でも、メンタルヘルスの組織作りは健康経営の中でも本丸に位置します。また健康経営という概念は、トップダウンで独断専行に行うのではなく、「みんなで」ボトムアップ式で行っていく方がよく、日本の置かれている環境や風習とも一致します。これからも、少しでも、より良い企業の文化作りに貢献できれば嬉しく思います。

 

3.読者へのメッセージをお願い致します。

結構専門的で、内容の理解が難しい専門的な本だという印象があるかと思います。しかし、ここには普段、思っている産業医などの本音が述べられております。産業医業務の中では、白か黒か、簡単に割り切れない事象が多発します。そのグレーな部分をいかに解釈して、会社内を良い方向に持っていくのかということが、産業医や心理職、人事部などの役目だと思います。簡単に割り切ることは子供でもできますが、答えがない事象について、新しい問いを立て、答えを導き出す作業は、ある意味大人の仕事とも言えます。健康経営を行っていく上では、企業が成熟し、ある意味大人の対応が求められます。そのような困難な問題を解決できる企業を目指される方々に役立つ本となれば、著者として大変嬉しく思います。

本の紹介2024.03.04

「職場でのカウンセリング」の著者に聞く(その1) : 五十嵐沙織

 

第6章 知っておくべき法律知識と他職種との連携 五十嵐沙織
 1.法的トラブルに発展しやすい問題
 2.法律の知識をふまえたさまざまな職種との連携
 コラム③ 女性活躍への課題とは(五十嵐沙織)

 

1.どのような思いで執筆を引き受けたのでしょうか?
心理職の方々向けに「知っておくべき法律知識」を解説した本は他にないと思いましたので、
職場でカウンセリングを実践する際に、本書が他にはない役に立つ本になればいいなと思い、お引き受けさせていただきました。

 

2.執筆を通して、1番苦労したことはどのようなことですか?
法律と聞くと、とっつきにくいという印象を持たれるのではないかと思い、
興味を持ってもらいやすくするため、わかりやすく、かつ、実践的な内容になるように心がけました。

 

3.本が出版されて、今どのようなお気持ちでしょうか?
本の出版にあたっては、編著者である財津先生、池田先生、岩崎学術出版社の鈴木様に大変お世話になりました。
執筆の機会をいただき、無事に出版の日を迎えられたことに感謝しております。

 

4.読者へのメッセージをお願い致します。
「知っておくべき法律知識」の中には難しい内容も含まれているかもしれませんが、
ぜひ本書をきっかけに、少しでも法律を身近に感じていただけたら嬉しいです。

カウンセリング2023.09.11

本音かパントマイムか

 

20年以上前、私の指導医は当時研修医の私に対してこう言った。
「患者がつらいと言えば、つらかろうと演技するのが精神科医としての初動である。」
そして、その指導医は私にこうも言った。
「患者も自分の気持ちを伝えるために、患者は医師の前でも頑張って演技したり、嘘をついたり、誇張して表現したりすることもある。そうせざるを得ない理由は、患者の深い気持ちは簡単な言葉にはならないからだ。だから、精神科医は患者の言葉や態度を言葉通りに受け止めてはならない。」

 

先日、日本パントマイマー協会理事の北京一氏と話す機会があった。北はパントマイムの本質について「人間の営みに実態はなく、表現されるものは全て嘘である。」と何気なく語り、私の前でパントマイムを繰り広げた。それはレストランで食事をする人の日常的な動作を巧妙に演じたものであったが、パントマイムにありがちな過剰な想定や演出はなかった。そして、圧倒的な真実味と臨場感がその場を支配していた。彼は精神科医の私に対して、人々が日常生活においてある種のパントマイムをしている実態をリアルに伝えようとしたのである。

 

北の卓越した演技力に感動した私は、直後に彼にロールプレイを申し込んだ。私は彼に、ロールプレイのルールとして、私からのあらゆる声かけに対して必ず全て「それは違いますね。」と答えるよう要請した。そして、私からの声かけの内容は以下の2パターンある。
①間違っている内容:(例)「太陽は西から上る、これは正しいですよね。」

②正しい内容:(例)「1+1=2、これは正しいですよね。」

私は北に対して、全ての質問に対して同じ声のトーンや態度で応えるようには要請していなかったが、北は、軽やかに「それは違いますね。」と同じ声のトーンで答え続けた。「1+1=2ですよね」と言われても、平然と「それは違いますね。」と答えたのだ。私は一連のロールプレイを終えて、さすが演技のプロは頼まれた役を抵抗なく演じることができるものだと感嘆した。

 

カウンセリングにおいては、北のように抵抗感なく特定の役柄を演じることできるクライアントは稀である。多くの方は本音と言葉や態度の間に乖離がないよう努力しながら語ろうとする。最近、とある心理面接でクライアントが私にこう語った。
「先生、僕が言いたいことなんて簡単に言葉にできませんよ。」
それはそのとおりだろう。そこで私は、クライアントには言いにくいことでも、とりあえず何かの役を演技しながら、気軽に語ってもらいたいと思った。その役とは、例えば「怒っている人役」「悲しんでいる人役」「疲れている人役」「自信がない人役」「変わった人役」「常識人役」などだ。そのようなとりあえずの役を演じながら話していると、それまで気づかなかった新たな自分の役柄を見出すことができるようになるのかもしれない。

産業医2023.04.19
新入社員研修について
医師は、患者が求めるものを患者に提供し、患者からの期待に応えることで、患者から肯定されるようになります。医師自身が素晴らしいと思うもの、世間が素晴らしいと思うものではなく、個々の患者が求めるものが大切なのです。患者が「1+1はなんですか?」と聞かれれば、学校では「2です」と答えることが正解ですが、医療現場では医師は「どうしてそんな質問をするのですか?」と応えることが正解です。なぜなら、患者は1+1が2であることを知っており、わざわざ医師に対して「2」と答えることを求めていないからです。

 

 

これは私が22年前に研修医の頃、当時バイトで勤めていた病院のとある方が私に語ってくださった言葉です。駆け出しの研修医であった私は、その言葉とその方の患者中心の姿勢に感動しました。それから20年以上の年月が経ちましたが、私はその時のことを今でも鮮明に記憶しています。私が産業医の業務に従事するようになってから新入社員向け研修を依頼されるようになりましたが、その都度、私はその方の言葉を、患者→上司、医師→新入社員、医療現場→職場と置き換えて、引用していました。その反応は、私の受け止め方と同様に、熱烈でポジティブなものでした。

 

ところがここ2〜3年、私が同じ内容を新入社員に教示しても、特に新入社員において、好意的な反応は少なくなってきていました。それを受けて、ついに私は、本コラム冒頭の引用文を昭和的な悪い上司の典型例として新入社員に紹介したところ、一人の新入社員から「上司には大事なことをそのまま分かりやすく伝えてほしいので、その通りだと思います。できれば、仕事で大事なことは全て動画サイトにアップして、それを僕らがいつでも閲覧できるようにしてほしいです。」と言われました。私は友人の産業医やお世話になっている人事部長にこの内容をシェアしたところ、同じようなことは他社でも広く認められるとのことでした。この新入社員の勇気ある発言は、人によって評価は分かれるでしょうが、私は素直に尊重したいと考えています。

カウンセリング2023.02.19

心とは

 

大先輩の精神科医から、心とは何か、についてメールをいただいた。心は存在するのか、しないのか、その実態は何か。正直、どう返信したら良いか迷っている。私が専門科を選ぶ際に精神科医を志したのは、このような問題を考え抜くことに興味があったからであり、今でも常日頃から考えているテーマである。しかし、この先輩からのメールには、簡単には応え難い何かズシッとした重みがあった。

 

従来、人間の営みや成長のプロセスは心、身体、頭脳の3要素に分割されて論じられてきた。例えば、「文武両道」という言葉は、身体と頭脳を鍛えることで心も成長するだろうとの期待を包摂している。3要素の協働によって、健全な成長が図られるということであろう。それは、常識的にも社会的にもすんなり受け入れられる話だ。心理の世界では、3要素がうまく噛み合っていなかった例としてゆとり教育がしばしば議論の対象になる。ゆとり教育と言いつつ、生徒の課題量が軽減されたのみで、子供達の心のゆとりそのものが十分に捉えられていなかったのではないかという反省をしばしば耳にする。産業保健の世界でも同様である。社員の心の問題が常に話題になるが、過重労働対策(身体的負担への対策)やパワハラへの啓蒙活動 (心の問題への知的理論武装?)など、身体や頭脳での対策に終始し、社員の方が心から笑顔になるような対策は現状でも少ない。情報が溢れ、様々な価値観が許容されている現代においても、心そのものを直接的に捉え、有効に対応することは非常に難しいことなのであろう。

 

心そのものについての学術的な研究はたくさんある。EQ(Emotional Quotient)理論では情動の意味を認識し、それを活かしながら問題解決する能力が問われている。情動は自律神経を介して身体に影響するものであり、体調の変化を覚知する感性が大切なのかもしれない。心の理論(Theory of Mind)では他者の気持ちを推測する能力が問われているが、その際、言語や状況を俯瞰して理解する知能が必要であろう。二つの研究から、心とは、身体への感性と状況判断に関する知性の二面性があると言える。それで事足りると言えばそれだけのことであるが、そのような社会的とも言えるほど常識的な視点は心そのものから遠ざかっているような気がしてならない。

 

人は他者の心を心単体として認識することは可能なのだろうか。私は、詳細な解説は割愛するが、言語を介して共感的に感じられるエンパシー(Empathy)は言語能力を要するために、心そのものとは若干距離があるように思う。むしろ、言語を介さず感覚的に生起されるシンパシー(Sympathy)の方が心の本質に近いように思う。例えば、痛みを訴える患者様に、情緒を込めて「どうされたのですか?」と伝える際に、心のふれあいを感じる。その際、身体への感性や状況判断はあまり関与しないようにも思う。シンパシーは労力を要さない。心とは、実態があるようでなく、意外にも気楽に扱われるべきものなのかもしれない。

 

かつて精神科を選ぶ医師にとって必読書とされていた神田橋條治著「精神科診断面接のコツ」(岩崎学術出版社,1990年)には、多くの精神科医を圧倒的に魅了する「雰囲気」としか表現できない「何か」があったように私は思う。それは、精神科臨床の要諦だけでなく、心そのものをおおらかに捉える楽観的な感覚が込められていたからではないだろうか。それを22年ぶりに読み返してから、先輩への返信をゆっくり考えたいと思う。

産業医2022.10.25

理想の人事部とは

 

私は産業医として様々な人事部の方々と接する機会があった。中には社内の複雑な人間関係を寝技で調整し企業の伝統的な秩序や組織の安定に尽力することが得意な旧来型の方々や、社内の反対を押し切りトップダウンで人事制度の改革を断行し、経営層から賞賛された新世代型の方々もいらっしゃった。いずれにせよ、多くの人事部の方々は、社員全員から必ずしも賛同されないストレスフルな職務に従事していると言えるだろう。しかし、最近のトレンドを俯瞰すると、詳細は省くが、どの会社の人事部も、私の人事部への信頼とは異なり、その伝統的英知と卓越した決断力に相応しい十分な敬意が社員から払われているとは思えない。

 

現代の会社では過重労働は一概に不健康であるとされ、時間内に求められた仕事を期待通りにこなせることが理想とされる。コミュニケーションのあり方も単純で明示的なものが好まれ、複雑な以心伝心を良しとした昭和の世代からすると拍子抜けである。また、人事評価においては明確な達成度に応じた合理的なアセスメントが必須とされる。具体的な成果がそのまま報酬に直結し、その反面、長期的視点に立った他者から見えにくい我慢や影の努力は評価されにくい。新入社員は先輩から「自分で考えてみて。」と言われても、内心「どうして具体的に教えてくれないのだろうか。」と不満を抱えてしまうものである。つまり、一言でまとめると現代の労働分野は「省エネの時代」とも言えよう。

 

そもそも、あらゆる省エネは保有する資源の最大活用を前提とする。個々の社員の省エネの背景には大きな余剰のエネルギーがあるはずである。旧来の慣習に反して二刀流に挑戦した大リーグの大谷選手の活躍を見ると、その目指す理想像の大きさや発想の大胆さに驚かされるが、それと同様に、現代的な社員の会社における省エネ志向の背景には、会社外での幸せや自己実現への強烈な希求があるのかもしれない。その仮説が正しいとするならば、労働現場から撤収されたエネルギーはどこに向かうのだろうか。そう考えると、人事部は、社員の会社内における挙動に対して、会社外の営みを推測しつつ、その幸せを最大化するよう働きかける能力が求められているのではないだろうか。その場合、時として人事部が社員のわがままをどこまで許容できるかが試されことになるわけであるが、その成否は人事部の腕力や胆力次第であろう。

 

そのような新しい関わり方は、現段階において、会社全体の生産性に直結するかは定かではなく、また、旧来の企業文化においてはプラスに評価されるどころか非難されかねないものである。しかし、社員の幸せと成長に会社の枠を離れておおらかに働きかける姿勢は、人事部の理想と言えるのではないだろうか。また、そのような観点を持ってこそ、はじめて社員の労働への熱意を引き出せる有効な施策を打ち出せるようになるように思えてならない。

 

*2022年10月22日、Stress Labo 軽井沢で弁護士と会社経営者をお招きし、会社経営に関する検討会を開催。その際の参加者からのコメントの要旨をコラムとして記載した。

本の紹介2022.07.03

本の紹介

 先日、私が車通りの少ない道路で信号待ちをしていたところ、横にいた若い男性が赤信号を無視して道路を渡った。その姿を見た向かいの道路に立っていた若い女性も突如赤信号を無視して道路を渡った。私は日本で生まれ育ったからか、このような景色は馴染みのものであり、違和感を持つことはない。周囲の人の行動を見て自分の行動を決定することは、日本人にとって馴染みの行動パターンであり、日本社会は良くも悪くも同調圧力や社会的慣習によって支配されているとも言われている。

 「しなやかで強い組織のつくりかた ―21世紀のマネジメント・イノベーション」(ピーター・D・ピーダーセン著 生産性出版 2022/6/30)を読んだ。この本では、しなやかで強い組織体質を実現するために、Anchoring(アンカリング:主に信頼関係の形成や目標の共有化)、Adaptiveness(自己変革力:主に組織的学習の進化・高度化)、Alignment(社会性:主に会社と社会とのベクトル合わせ)のトリプルAが重要であると説かれている。私の解釈では、本書でいう「しなやかな組織」というのは、ストレス耐性が高い組織という意味ではなく、個人と組織、会社と社会、利益と理念などのバランスが高度にとられた組織のことである。同時に、本書では日本社会の同調圧力や日本企業の不合理な慣習が、日本企業の成長や社員の幸福度を低下させているとも指摘されている。デンマーク出身で親日家でもある著者のピーターは、そのことを端的に「もったいない。」と表現している。私も、著者と同様にもったいないことと感じているし、青信号を渡らないことは時間の無駄でもあると思う。

 本書で示された日本企業の持続可能な明るい未来像とアクションプランは、日本企業にとってはまさに「青信号」であると私は信じているが、本音では賛成でも建前としてそれを表現しづらい日本社会において、その普及へのハードルは高いと思われる。日本社会には青信号なのに気軽に渡ることを簡単に許さない同調圧力や不合理な社会的慣習があるとしたら、それを変えるにはどうすれば良いのだろうか。私なりに産業医としての立場で考えると、企業内での社員同士の会話の量を増やし、社員の本音が十分に共有されることが大事ではないかと考えている。本書を片手に全社員が本音で話し合い、そこから合意形成ができれば、新たな適応的な慣習と生産的な同調圧力が形成されうると期待している。

 本書は、著者が社外取締役を務める丸井グループをはじめ、日本を代表する大企業での取り組みが具体的に多数紹介されており、文章も端的であるため、非常に読みやすい。産業・組織心理学の発展の歴史も一部紹介されており、外国人から見た日本企業の分析も興味深く、個人的には今年一番の良書であった。また、巻末には「トリプルA調査設問(簡易版)」が掲載されており、企業において自己診断ツールとして利用できる点でも実践的で有益だ。産業医として担当している企業様にも紹介したいと思う。

本の紹介2022.06.28

恩師との出版について

 

世間では全く知られていないが、精神科医の業界では、お互いを褒め合うことが常識である。筆者はそれを「褒めトーク」と私的に表現している。褒めトークとは、相手への敬意と受容を常とし、かつ、相互を言語的に肯定しつつ接し合う日常会話である。私が研修医の頃の高名な主任教授も、精神科臨床について何も知らない私を言葉で褒めつつ、深い意味を込めて様々な示唆を与えて下さった。精神科医局では、伝統的にどこでも同じようなコミュニケーションであろう。おおらかさと話しやすさを尊ぶカルチャーは、多くの精神科医にとって誇りであり、精神科医療への愛着と実質的に同義とも言える。しかし、池田先生と私の関係性は一味違っていた。

池田先生と私は、私が開業する前に私が勤務していた精神科病院で、当時私は常勤医として、池田先生は非常勤医として、偶然出会った。池田先生は私の話をうわべだけで傾聴したふりをせず、あたかも話を聞いていない風でありながら、言いたいことは言いっぱなしであった。たまに私のことを褒めてくださるが、それが普通の精神科医と違って、さりげないのである。素っ気ないという言葉がぴったりだ。池田先生は私が開業のために病院を退職してからも現在に至るまで、度々長文のメールを頂いている。私は、多忙もあって、ろくに返信できていないが、池田先生は私の横着に対して否定的な姿勢は一切取らない。池田先生と私のやりとりは多岐に渡るが、私より一回り以上年上である池田先生の語りは常に早口で、そして、どんなに会話が砕けたとしても主語述語が破綻することはなかった。そんな精神科医は私にとって初めてであった。

 

ラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan)を始め、精神医学は構造主義を背景にフロイト(Sigmund Freud)の古典的な精神分析理論から大きな飛躍を遂げた。私は研修医の頃に構造主義に魅了され、にわか勉強で知ったクロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss)やソシュール(Ferdinand de Saussure)のことを治療技法と絡めて池田先生に話すと、池田先生はそれに全く関心を示さない。しかし、その内容について私より遥かに詳しい。池田先生と私との見解の最大の違いは、統合失調症についてである。私はフーコー(Michel Foucault)の理論が大好きで、権威的な圧力と統合失調症との関係を強調するのだが、池田先生は構造主義の相対的・相互的な世界に興味を示さない。池田先生にとっては、統合失調症も発達障害も同列で、全て対象は「目の前に実在する人」なのである。そして、良心的、全人的に接することが重要であると常に説く。

 

池田先生は、精神科医でありながらペンクラブの会員でもあり、一般向けの講演、大学での講義、執筆活動等に注力されている。病院での勤務中にも、いつも忙しそうに資料作りのためにパソコンと向き合っていたが、私が相談を持ちかけると時間を気にせず私と本気で向き合ってくださった。非常勤の池田先生の病院勤務は週1日であったが、私は池田先生が勤務される日を密かに心待ちにしていた。私と池田先生は、難治性・薬剤抵抗性とされる患者様の治療について何度もディスカッションさせていただき、時に私は実際の患者様の診察をお願いしたこともあった。今振り返っても、診察後のレビューはとても貴重な学びの場であったと思う。医学部の中で卒業後に精神科を専攻する者は変わり者とされるが、その中にわずかであるが、天才的な先生がいらっしゃる。私はこれまでの精神科病院での勤務歴の中で才能豊かな先生方とたくさん出会うことができたが、その中でも池田先生は特別な先生である。池田先生から学んだことは尽きないが、何より一番感謝しているのは「本で勉強するな、臨床の現場から学べ。文章表現で勝負する精神科医を疑え。」との言葉である。

 

およそ2年前に、そのような臨床重視の池田先生が中心となって本が出版されることになった。「標準公認心理師養成テキスト(文光堂)」である。私は池田先生から執筆依頼をいただき、私は共著者の一人として従事した。先日無事に出版となってホッとしているところである。本書は公認心理師を目指す方にとっては、全ての必要事項が簡潔に網羅されており、これ一冊と過去問集で公認心理師試験に合格することができる。また、現代の心理学でトピックになっていることが全て網羅されているため、心理学の基礎を効率よく一望したい方にも是非おすすめしたい。

 

標準公認心理師養成テキスト
文光堂
大石 幸二 (編集), 池田 健 (編集), 太田 研 (編集), & 1 その他
産業医2022.06.02


産業医とポルシェ

 

スポーツカーの代名詞であるポルシェのブレーキ性能は、ユーザーから高い評価を得ている。ポルシェのエンジン開発の基本コンセプトとして、エンジン出力の4倍に相当するブレーキ制動力が担保されているといわれ、300馬力のエンジンなら1200馬力のパワーがブレーキに与えられていることになる。特にポルシェのラインナップの中の911GT3という上位モデルは、時速100キロから急ブレーキを踏むと、そこから30.7mでクルマは静止するという。車に速さを求めるユーザーが、ブレーキ性能に絶対の信頼を求めることは自然な発想だろう。

 

先日、友人の産業医と打ち合わせを兼ねて散歩していたところ、彼は筆者にこう言った。

「最高の産業医ってどんな先生だろうね。やっぱり、休職が必要な、どの社員に対しても、ためらいなく要休職と決断し、それを社員に、即、納得させられる産業医かな。」

その言葉の真意を尋ねると、

「誰でも産業医の経験をある程度積めば、だいたいどのような状態で社員を休職にすべきかって、相場で判断できるようになるよね。でも、判断できるだけじゃダメで、即座に実行できて本物。世の中には、成長志向の前向きな会社や、優秀で意欲が極めて高い社員は想像以上にたくさんいて、そんな会社や社員はギリギリまで無理してでも成果を出したいわけ。だから、彼らは成果が出てさえいればストレス状態は全然OKで、その程度の疲労状態で産業医から強制的に仕事を止められるなんてナンセンスだと思っているの。彼らは、本当に病気になりそうな時に限定して会社を休みたいし、そんな彼らのニーズに応えるには、疲労がたまっても病気になるギリギリのタイミングまで何もせず、一瞬でも病気になりかかったら、即、確実に、休職にしてほしいわけ。」との回答であった。世間の評価は分かれるかもしれないが、友人産業医の言葉には、なるほど、と思わせる鋭いものがある。

 

実際の労働現場で奮闘している社員が、ある日突然、産業医面談で産業医から休職が必要ですと言われた場合、休職に納得することは簡単なことだろうか。社員に「健康が第一であるという良識」「産業医の専門性への絶大な信頼」「休んでも、会社から再度活躍の場が与えられるだろうとの期待」などがないと、簡単に休職は実現しないであろう。特に、産業医の社員に対する説明能力は休職を即実現させる上で重要であり、産業医から社員に対して、なぜ今休職が必要なのか、を誰もがわかるような明解な言語をもって伝えられなければならない。それができる優秀な産業医は稀であるが、彼らは、いつでもどの社員にも休職が必要であることを納得させられる自信があるから、軽度な疲労レベルでは敢えて社員に注意喚起をせず、経過観察のための面談を継続的に設定しつつ、むしろ軽く励ますことが彼らのお作法であると筆者はしばしば耳にする。

 

話は最初に戻るが、ポルシェのプレーキ性能は過剰なものではなく、加速性能とのバランスにおいて合理的である。急成長を求める企業の経営者は、優秀な産業医を選任し、健康経営を地道に進め、社員のセルフケアへの意識を高め、そのような営みを通して普段から会社のブレーキ性能を向上させるよう努めるべきである。そうすることで、企業や社員は、いくらでも強くアクセルを踏むことができるようになる。また、会社全体のブレーキシステムの根幹に、これまで以上に、医学の専門家である産業医が深く関わるべきであると筆者は考えている。

精神医学2022.05.18

テレワークの安全性について

 

30年以上前の車にはエアバッグはなかったが、現在のほぼ全ての車にはエアバッグが標準装備となっている。エアバッグの安心感に慣れ親しんだ現代人にとって、かつてのエアバッグ未装着車には漠然とした不安を感じるものである。当然のことながら、その不安はエアバッグ登場前の時代にはなかった新たな不安である。本来、車の安全性能は車体剛性やブレーキ性能等に左右され、エアバッグだけに依存するものではないはずであるが、この不安感は一体如何なるものだろうか。

 

コロナ禍の中、テレワークは日本の労働環境に定着し、すでにそのメリットやデメリットは議論し尽くされた感があるが、精神科医としての筆者は、通勤の負担や感染リスクよりも、テレワークがもたらす身体的安全に今注目している。現代において通勤災害や会社内でのトラブルや暴力事件は、かつてと比較すると稀になったとはいえ、人は大声で怒鳴られただけで暴力を振るわれるのではないかとの警戒心を無意識に抱き、不安や自律神経の乱れを来たしてしまうものである。日々の診療や面談ではテレワークやWeb会議は安心感があるとの声をしばしば耳にする。現代人がテレワークという新たな安全装置を解除することは簡単なことだろうか。

 

コロナ禍において一般的な社員は、物理的に安全なWeb面談か得られる情報が多い対面での面談かを選択する際、所属する会社の方針や面談対象者の意向を尊重せざるを得ないので、自由に意思決定できない。その不自由な状況は、可視化しにくいストレッサーともなりうるであろう。このことへの懸念ついて、社員様は会社内で言語化しにくいであろうこと、経営者や管理監督者側からの声や反応が乏しいことも少々気になっている。

 

コロナの感染状況は依然先行き不透明であるが、社会活動は徐々に再開されつつある。各企業においては今後のテレワークの運用について活発な議論がなされているが、社員側のテレワーク継続への要望は根強い。そのため、成長を志向する企業側にとっては、テレワークの損得を比較・検討するだけでは不十分である。そのような今こそ、安心・安全な職場づくりを目指し、コミュニケーションの向上、ハラスメント対策、社内カルチャーの改善、コンプライアンス遵守等を強化する好機が到来していると言えるのではないでかと思う。

産業医2022.05.08

休暇に伴う疲労について

 

G Wは概ね今日で終わり、明日から多くの企業や学校において通常のスケジュールとなります。休暇前に会社や学校で日々のタスクに追われていた方々にとって、連休は楽しみや安らぎを追求できる貴重な機会と言えるのですが、例年この時期になると、私が診療しているクリニックでは、休み中に混雑している行楽地へ遠出したり、普段経験したことがない新しい体験をしたことで内心疲れを感じたとおっしゃる方が多いものです。そのため、行楽地の混雑を避けて自宅でゆっくりと過ごすことを選ぶ方も少なくありません。このような本来は楽しいはずの休暇の陰に潜む独特の疲労をどのように考えたら良いでしょうか。本コラムでは、敢えてこの問題を真面目に考えてみたいと思います。

 

まず、通常の生活における疲労について考えてみたいと思います。産業医目線で勤労者の日常の働き方を能力特性の面から評価しますと、多くの社員様は自分の得意な能力に適合した職務を選択し、主にその得意な能力を使って日々のタスクを処理していると言えます。コミュニケーション能力が高い方が営業職を選んだり、論理的な思考能力が高い方が弁護士を選ぶ状況が良い例でしょう。そして、コミュニケーション能力が高い営業職の方々の疲労は、顧客からのクレーム、同僚との意思疎通の障害、上司からの理不尽な叱責など、コミュニケーション上のトラブルによって発生しがちですし、論理的な思考能力が高い弁護士は、延々と非論理的な会話にお付き合いさせられる中で疲労を感じがちです。つまり、産業医としての経験から考えると、多くの勤労者にとって、職務上の疲労は、個々の社員様が有する特異な能力や才能に関連して、限局的に発生しがちであると言えるのです。このことは意外にも多くの方が十分に意識していないことであり、効果的な休み方を考える上でヒントとなりえます。

 

次に、休暇の効果とその疲労について考えてみたいと思います。休暇中、勤労者は通常の営みから離れることで、普段酷使している特定の能力を休ませることができます。例えば、営業マンは利害関係者とのコミュニケーションから解放されます。このことは休暇の分かりやすい効果と言えるでしょう。その一方、休暇中に勤労者は「楽しむ」「消費する」など、普段の職場とは違う発想に立って日常の職務とは違う行動をすることで、休暇独特の疲れがもたらされます。そのような慣れないことをすることで発生する疲れは、利き腕でない腕でお箸を使う際の疲労と似ています。言わずもがなですが、利き腕でない腕でお箸を使うとスピーディーに料理をつかむことができませんし、その行為自体に疲れを伴うものです。ここで注意したいことは、我々の能力は多様かつ多元的であり、右利きか左利きかという単純な二者択一ではないことです。利き腕ではない腕は一本ではなく多数あり、その多種多様な能力をいかに発達させるかということは、日々新しい課題に直面する多くの勤労者や学生にとって重要な問題であるとも言えます。その上で、仮に休暇中に何かミスを起こしたとしても、仮に休暇中の目標が未達に終わったとしても、本質的に業務上の責任が問われることはありません。このことは休暇の特徴であり、効果とも言えるでしょう。

 

以上の通り、休暇は、「利き腕」、つまり特定の得意な能力に関連した疲れを解消し、普段使っていない様々な潜在的な能力を幅広く活性化させるための貴重な機会と言えます。そう考えると、休暇特有の疲労は概ね肯定的に捉えて良いと私は思います。特に、勤勉とされる日本人にとって、休暇は大きな潜在的利益をもたらすものでしょう。たまには思いっきり遊んで思いっきり疲れてみる、このような発想はいかがでしょうか。

カウンセリング2022.04.16

本音を話せない新入社員について
4月になりました。多くの企業では新入社員が入社式を終え、新たな環境で研修を受けています。その際、指導者が新入社員に「何か質問はありますか?」と聞くと、新入社員が無言になってしまうことが少なくないようで、産業医面談でもそのようなお話を度々耳にします。このように指導者の質問の意図や前提がうまく伝わらず、新入社員を緊張させてしまった場合、どのように対処したら良いでしょうか。私は配慮に満ちた適切な雑談が有効であると考えています。

一般に、話題や目的が限定されない気楽な雑談にはさまざまなメリットがあります。

・本音を話しやすい
・言いたいことを言えて気が楽になる
・物事を多面的に捉えられる
・自分が何を知っていて、何を知らないかが分かる
・話し相手の立ち位置や意図をおおまかに理解できる。
・相手の体調や精神状態がわかりやすくなる

しかし、雑談は以下の通り、想像力や推測能力を要するために、苦手な人が多くいらっしゃることも事実です。

・雑談は事実に基づく話だけでなく、不安や期待に基づく想像上の内容も含まれる
・その会話が雑談であることを当事者間で認識できていないと、雑談は成立しない
・雑談において話し相手の立ち位置や会話の目的を推測する必要がある
・相手が話したいことを、表情や声のトーンなどの言葉以外の情報から推測する必要がある
・相手の意図を推測し、その不確実な推測結果に基づき適宜対処する必要がある
・会話において、話し手、聞き手の切り替えのタイミングを推測する必要がある
・雑談が終了し、その後話題が真面目な話に移行した場合、その変化を適切に推測しなければならない

 

新入社員の教育において雑談を展開する際、会話の最初に「これは雑談だけど」「ちょっと雑談していい?」「軽く雑談しませんか?」など、これからの会話が雑談であることを相手にはっきり伝える方が無難と言えます。そして、雑談が苦手な人や雑談を嫌がる人には、雑談を押し付けることを控え、時間をかけた丁寧なやりとりを心がけることが大切です。また、雑談を苦手と感じる人にとっては、心理カウンセリングを受けることで雑談のスキル改善が期待できます。いずれにしても、雑談や真面目な話がうまく組み合わされ、コミュニケーションが最適化されることが、新入社員の本音をしっかりと受け止める上で重要なことと言えるでしょう。

心理学2022.03.30

知能テスト結果の見方

知能テストは、知能のプロフィールを客観的にデータ化できるため、知能テストを受けることで被検者は自分自身の適応についての理解を深めることが可能です。
知能テストではIQ(全検査IQ)が算出されますが、知能テストの結果の解釈において最も重要なことは、I Q(全検査IQ)の点数ではなく、知能テストによって数値化される以下の4つの指標の得点間の差異(ばらつき)であると言われています。
1. 言語理解
2. 知覚推理
3. ワーキングメモリー
4. 処理速度

知能テストの結果の解釈の方法は多岐にわたりますが、例えば、言語理解が高く、知覚推理が低い場合については、臨床現場において以下のように解釈されます

このような被験者は、一般に、物事を言語的に理解・処理することが得意なのですが、言語能力と比較して、物事を視覚的に判断・推測する能力が相対的に低いため、人の表情や状況よりも人の言葉そのものから人の本音を推測しようとする傾向があります。
物事を言語的に理解・処理すること自体は、社会適応上、決して間違ったアプローチではありませんが、言語的な情報が乏しい場合においては、言葉の通りに理解したことによって当事者に事実誤認やストレスをもたらす場合があります。
このようなタイプの人が、物事の重要なポイントを言葉ではっきり言わない人と接する際には、視点を変えて物事を見直したり、自分の理解が相手の意図したものと合致しているかを相手に都度確認したり、相手に対して意識的に丁寧な言語的説明を求めることなどが有効です。

以上の内容は、心理臨床では一般的なことですが、私は、知能テストの結果の解釈においてさらに重要なことは、4つの指標の得点間の差異から、被験者のストレスの発生状況を深掘りすることにあると考えます。
上記の例で言えば、言語理解が4つの指標の中で突出して高い方は、自分と同等の知能水準(全検査IQ)の人に対して、自分と同等の言語能力を有すると推測しがちであるように思います。そのため、このような人は、言語的コミュニケーションに関して、相手に過剰な正確性を期待してしまい、結果として、コミュニケーションにストレスをを感じやすい傾向にあります。このようなケースでは、ストレスの要因が言語能力の高さにあり、当事者にとって気づきにくいストレス要因であるため、ストレスによる心身の不調が長引きがちです。
一般に、特定の能力が低いことによる問題点は、学校教育において客観的な評価基準によって当事者にフィードバックされるものですが、特定の能力が高いことによってもたらされる適応障害は、当事者にとっても気づきにくく、見過ごされがちであると言えるでしょう。
そのようなケースでは、その当事者の真の才能が発揮されず埋没されている可能性もあります。
世間では、知能テストは、IQを測るための検査であると誤解されているように感じますが、知能テストは、単に、IQや能力の高低を測るだけではなく、その人の傾向や能力の高さからもたらされる悩みやストレスを検討する上で有効なものではないでしょうか。
背が高いからこそ天井が低く感じる、そのような生きづらさをじっくり考える場が、現代においてはとても重要だと私は考えています。